罪を正直に認めることは、人間にとって大事な経験である
   小4 あきたお(akitao)  2025年8月3日

一番海蔵さんは根性があるなと思ったのは、自ら地主の家に行って正直に謝ったことです。しかしもし僕が海蔵さんだったら、老人や他人の死を希望することや望むこと次第をそもそもしなかったと思います。

小学2年生の一月のある日、給食で長崎ちゃんぽんが出ました。長崎ちゃんぽんとは、豚肉、野菜、かまぼこ、シーフードを豚の油で炒めて、豚骨スープと麺を加えた物です。僕のお母さんは、関西で育ったので家で一度も食べたことがありませんでした。パッと見た瞬間、

「オウエ〜、不味そうだなあ。」

と思い、一気に食欲を失いました。恐る恐る待っていると、長崎ちゃんぽんが僕の机に到着しました。油まみれのスープに、伸び切った麺。色の悪い野菜、そしてエビとイカの足が浮いていて、磯臭い悪臭が漂っていて、まるで10年以上腐らせた地獄のような食べ物に見えました。

「食べたくないなあ。」

正直、何とかどさくさに紛れて残せないかなあと祈るような気持ちになりました。そのあと一口食べると、予想はるかに上回るほど不味く、本当に吐き気がし始めました。

「もうこれ以上ちゃんぽんを食べるのは無理だ。」

しかし、先生は残してはいけないと言っていたので、何とかしなくちゃいけないなと頭を捻りました。

「そうだ、こっそり捨てれば良いんだ。」

そう思った僕は、こっそり窓を開けて外に捨てました。昼休みに他の友達が窓の外を見て、

「わあ、ちゃんぽんが捨ててある。」

それを聞いた僕は、心臓がバクバクし始め、汗をかき始めました。帰りの会に先生が、

「ちゃんぽんを捨てた人は誰ですか、手をあげてください。」

とクラス全体に尋ねました。僕は驚いて凍りついていました。そして、クラスの人が

「本当にだれなの。」

と何回も言ってくるので手を上げることができませんでした。もう一つの理由は、もし僕が手を挙げて、クラス全員が知ってしまったら、友達が違う人に広めたり、先生が教頭先生に行って教頭先生が放送で、

「今日の給食に出たちゃんぽんを1人の生徒が捨てました。」

なんか言われたら全校生徒が知って、知った生徒がお母さんに言ってしまい、もしかしたら寿命が縮まると思ったからです。家に帰る時、罪悪感を感じました。なのですぐにお母さんに相談して、お母さんが学校に行って謝ろうと言ってくれました。最初は拒否したけれど、正しいことをやろうと思い勇気を振り絞って学校へ行きました。その時の気持ちは萎縮震慄、まるで夏の夜の学校の肝試しよりもドキドキして、元気がなくなりました。その時僕は、帰りたいなと少し思っていましたが、もう決断したので学校へ行きました。学校について教室で先生と会いました。そして自分の口でやってしまったことを話しました。すると先生が、

「たおさん、正直に言ってくれてありがとう。私はあなたを誇りに思います。」

僕はほっとし、体の中にあったモヤモヤが消えました。そして先生が

「もし食べれないものは残して良いよ」

と優しく教えてくれました。ぼくは

「今日の習い事が終わったあと、必ずお父さんと掃除します。」

と約束しました。その日の寒い中石鹸と水が入ったバケツと袋を持って学校へ戻り約束通り、掃除しました。すると心がもっと軽くなりました。翌日、先生がクラスの人にちゃんぽんを捨ててしまった人は、もう正直に謝ってくれて掃除もしてくれたので大丈夫ですと言ってくれて、

今この話を書き思い出してみて、二年生の時の僕の行動に感慨無量、胸を打たれました。もしタイムマシンがあったら、2023年の一月に戻って、二年生の僕を褒めれるだけたくさん褒めたいです。お母さんは今でも、

「たおがやったことが見事だったろ。」

と褒めてくれます。自分で蒔いた種は、自分で狩る練習を続けます。苦あれば楽あり、途中は苦しかったけれど、最後は楽になり、正直でいることの心地よさを知ることができました。

僕がこのお話を読んでやってしまった悪いことを正直にいう行動には、メリットしかないなと思いました。