印象
小6 よしたか(yositaka)
2025年8月2日
自分のマスコットキャラクターを書くとき、以前は「自分が楽しいと思うように」好き勝手に描いていた。性格も、装飾物も、すべてが自分の趣味に基づいたものだった。そうして完成したキャラクターは、もちろん自分にとっては満足のいくものだったが、他人からの反応は薄く、特に「可愛い」という評価をもらうことはなかった。ところがある時、他人の目線を意識して「客観的に見て可愛いと思われるように」キャラクターを作ってみた。すると、それまで無反応だった人たちから「そのキャラ、可愛い!」という声をもらえるようになった。これは自分にとって驚きだった。また同じように、自分では「これは面白い」と思っていた一発ギャグが、他人にはまったくウケなかったという経験もある。こうした体験を通じて、自分の感じ方と他人の受け取り方には違いがあると実感した。
こういった認識のズレは、小説などの読書体験にも通じる。たとえば、ある本に登場するいじめっ子のキャラクターがいる。原作だけを読めば、彼は単なる悪役であり、読者の多くは「嫌なやつ」という印象を抱くだろう。しかし、彼が主人公となるスピンオフ作品を読むと、まったく違う一面が描かれている。家庭環境や本人の抱える葛藤、弱さや後悔といった要素が細かく描写されており、「このキャラにもそんな背景があったのか」と感じさせられる。結果として、原作だけを読んだ人と、スピンオフも読んだ人とで、キャラクターに対する印象が大きく分かれることになる。これは、作品が描く人物像が一面的でなく、多面的であること、そして読者の受け取り方によって印象が大きく変わることを示している。
このように考えると、読書とはただ物語を追うだけではなく、人の心の奥深さに触れる行為であることがわかる。登場人物の思いや背景を知ることで、読者は自然と他者の立場に立って物事を考えるようになる。それは想像力や共感力を育てることにつながり、現実の人間関係にも影響を与えるかもしれない。また、読書を通して得た理解や感情は、自分自身の考え方や価値観を見つめ直すきっかけにもなる。まさに「温故知新」、過去の物語や人物から新しい気づきを得るという点で、読書は自分の内面を豊かにする貴重な手段なのだ。そして、人によって感じ方が違うことも読書の面白さの一つであり、それこそが「十人十色」という言葉の通り、読書の本質を表していると言えるだろう。