自分にとっての必要と無駄
中2 あかるら(akarura)
2025年8月3日
目あきは何でも見え、分かると考えているが、彼らが見えるものは目の前のものだけであり全てを記憶することは難しい。一方盲人は見ることできないが、目以外の器官を頼りに「心の眼」から優しさを感じることができる。私達の生活の中で損得づくで使っている言葉も荒唐無稽な話の筋の中に投げ込まれると効用性を失う。世の中に溢れる無駄なものの中には調和して生きるために自分の持っている原則を大胆に変える生物の叡知が働いている。
快適に生きるためには自分の必要を考えていくことが大切だ。自分の気持ちを満たすための行動によって力を伸ばすことができるからだ。私は先日、長い期間目標としてきた英検の級に合格することができた。今までの実力では私にとってハードルが高く、一般的に合格が難しいと言われるその級を取得することができたのは、特に試験前の数か月にわたり自分の趣味に使う時間や遊びに行きたいといった欲望を押さえ集中して勉強を続けたからだと考える。確かに必ず合格したいと思いながらも追い込みの頃には他の課題を後に回し英検の勉強を優先することは葛藤を強いられた。しかし英検合格のために集中したこの時間は身の詰まった次に生かすことのできる経験となった。振り返ると、この目標級には何度か挑戦し失敗したが、その原因は自分の甘さにあった。勉強に苦しくなると乗り越えようとせず諦め、完璧に暗記することなく試験に臨むということを操り返していた。しかし今回は今までの反省の上に立ち、持っている教材をやりきることを心がけた。やはり自分の目標を達成するためには何が必要かを考え、やるべきことを取捨選択していく必要がある。
しかし、一見して無駄なものもなくてはならない。ある見方からは「無駄」と言えるものは、別の視点からは価値のあるものだからだ。私は文房具店や雑貨屋で新しい商品を見つける度に欲しいと感じてしまう。もちろん生活に必要な用具は家に揃っている。 私の筆箱には最低源の本数や色のペンが常に入っており不自由さを感じた経験はない。しかし店を訪れると「欲しい」と母にせがんでしまう。以前、友達に影響を受けスマートフォンのデコレーション用にシールを買ってもらったことがある。もちろんこのシールは必ずしも必要なものではない。あくまで飾りである。しかしこれがあるからこそ、スマートフォンが華やかになったり、見る度に自然と元気が出たりと私の心を満たしてくれる存在になっている。一見無駄なものが持つささやかで小さな喜びの積み重ねが心の「縁の下の力持ち」として私達の暮らしを支えていることを実感することが大切だろう。
確かに自分に必要なものも、無駄なものもどちらも大切だ。しかし最も大切なのは多角的に広く物事を捉えていくことである。「すべてのものごとは、見る角度によって違って見える。」という言葉がある。自分の必要ばかりを考え、自己中心的な判断に陥ってしまうことや「無駄」なものの良さを知ることもなく排除し続けることでは、視野の広がりは得られない。多角的な視野から物を比べることが判断することができるのは人間だけなのだ。