無駄なものは人生のつきもの
   中2 明香里(auseri)  2025年8月3日

 数年前、私は西アフリカのナイジェリアの東北部べエヌ河の過半を一人の土地の盲人と二人で神話・昔話を採集して歩いていて、四十過ぎの私とほとんど同じ年と考えられる人であり、盲人にはいろいろなことを教わった。手を引いて山道を歩いているときに、彼は「目あきのおごり」というのがあるのだ、と語り始め、自然との調和こそ、我々人類が生存し続けるために避けることのできない原則になった。



確かに、快適に生きていくためには自分の必要を考えていくことが大切だ。私は小学生の頃からお父さんの影響でボールペンの書き味にこだわりを持っている。お父さんと文房具屋さんに行くと、ボールペン選びのコツをなぜかおしえてくれていた。そんなことがあったため、私も小学校高学年になって学校でのペンの規制が外れ、ボールペンをもっていって良くなったとき、今でも使うジェットストリームや、学校でまる付けなどに使っている「無印良品」のペンを使い始めた。更に、今となってはシャープペンの芯の硬さや、書きやすさにこだわって買うようにしている。私の学年にはシャープペンを二十本ほど持ち歩いている人がいる。いわゆるシャープペンマニアである。



しかし、一見無駄に見えるもの、無秩序なものもなくてはならないのである。一休さんは、よく「無駄に見えること」を大切にしていた。一休さんといえば、とんち話だ。私は一休さんの本を持っている。その本の中にあるトラの屏風の話では殿様に「屛風のトラを捕まえてみよ」といわれ、断らずに「ではここにとらを出してください!」と応答した。これは一見ふざけた無秩序なやり取りに見えるが、その発想が人々を笑わせて、教訓を与えてきたのだ。

私の家には一休さんの本があると書いたが、その本は弟が三才のときに買った本で冊数も少ないし、絵ばかりの絵本なのである。だが、いまでも本棚を眺めていて、目に入ると面白くて繰り返し読んでいたころを思い出し、つい手に取って読んでしまう。するとまるで室町時代へとタイムスリップしたような気分になり、一休さんと一緒にいるような気持ちになれる。つまり、絵本は小さな子が読んでいるイメージがあるが久しぶりな感じで読むと、とても面白かったりするなと思った。



確かに自分に必要なものも、無駄なものも、どちらも大切だ。しかし最も大切なことは「存在するものには、良いとか悪いとかいう前にすべてそれなりの理由がある」という言葉があるように、自己と相容れないものへの理解を互いに深め合い、関係を調和して生きていくことが大切である。

だから私は、生きていく中で自分に必要なものも、無駄なものも、どちらも大切ということを忘れずに、これからも生きていきたい。