国さい人になるには
   小5 さや(akanoyo)  2025年8月3日

 私なりの考えでは、「外国人を相手に自分の考えを伝えたり心を通わせたりできる人」というようなものではないかと思っている。アメリカの大学初年性を日本の学生と比べてみると、アメリカの学生の方が知識量でははるかに劣っている。しかし論理的に考え表現し行動することにかけては、彼らは十分な訓練を受けているから、精神的には成熟していて、論争になったりした場合には日本人学生はとても太刀打ちできない。「言葉」を大切にすることが最も効果的なように思われる。言葉というものは人間の思考と深く結びついてる。私がこの長文を読んで、一番思ってたのとちがうなぁ、思ったのは、国さい人は、外国語がしゃべれるだけではダメということだ。



 私は、インターの学校と日本の学校に似たところがあるなぁ、とこの長文を読んで思った。それは、英語の、「スペリングテスト」と、日本の、「漢字テスト」だ。どちらも、テストということが、頭の中で思い浮かぶと思うが、もっとふかく考えてみると、インターの「英語」のじゅぎょうと、日本の「国語」のじゅぎょうは、似たようなじゅぎょうだと思う。なぜなら、どちらも、じぶんの言語について、学ぶからだ。そこで、テスト。どちらも、言葉のテストだから似てると思った。



 次は、インターと日本の学校のちがうところをおしえる。それは、テストの点数のことだ。日本の学校でのテストの点数は、百点以内なんだが、私の学校では、一、二、三、四という点数がつく。ちなみに自分が五年生だとしたら、三だと五年生レベルで、四だと六年生より上のレベルということだ。ちなみに一.五、二.五、三.五点があある。それはつまり、真ん中ぐらいの点ということだ。



 私がこの長文を読んで、一番おどろいたのは、国さい人になるのに外国語がとくいなだけじゃダメということだ。私は、この長文を読んで、国さい人になるには、外国人とちゃんと意思を通わせないといけないということも分かった。