振り返ることと戻ること
   高2 かずま(auyoto)  2025年8月4日

  伝統の根を持たぬものは遊離した存在である。しかし、伝統を越えぬものは真に新しい存在とはならない。新しい存在が新しい伝統を作る。日本ではまだ独立の小家屋が都市においても一般的な家屋となっているし古来の木造建築が最も手軽で便利となっている。しかし、公共建造物に今日こういう木造建築を立てないところを見ると、それは今日の生活面に対して適合しないことがわかる。時に、現代人は異様なまでに過去に執着することがある。ここでいう過去とは、頭の固い頑固おやじや、親せきの家で聞くような昭和や平成初期のはなしではない。大正、明治、江戸、平安、さらには縄文時代にまでさかのぼる。たとえば、江戸時代は今よりも人々が笑顔であった。とか狩猟時代、人々は長時間労働せずに平穏に暮らせていただとかだ。おそらく一度は聞いたことがあるだろう。しかし、それらの論説は、実際にその時代を生きた人々に失礼だと私は思う。なぜ人々は、すでに過ぎ去った過去へ戻ろうとするのだろうか

第一の原因として、隣の芝は青く見えるからだ。人は誰しも、自分が持ち合わせていないものに惹かれるものである。おもちゃだとか食事だとか才能だとか。そういう他者の物に対して、恋惹かれる経験は、誰しも一度は通ったことのある道だろう。それらと同じようなことが昔の世界にも言えるのだ。木造建築に住み、着物を着て、コンクリートで舗装されていない自然な道を通っていた時代……そんな、もはや自分たちが頭の中で想像するしかない世界は、大体の場合魅力的に見えてしまうものである。当然ながら、それ自体は決して悪いものではない。特に文化面では、過去の物にも現代の物にも優劣はない。それに、過去を振り返ることは、現代の諸問題の根源を学べたり、過去の事例から解決策を編み出せたりするということであり、それから得られるメリットは計り知れないだろう。しかし、だからと言って過度な原点回帰は退化でしかない。かつて日本は、その日取れた食料でその日を生きていた。長期的な食料の備蓄などできず、不猟の日は飢えに任せるしかなかった。しかし、そこで大陸から稲作というものが伝わり、食料の備蓄ができるようになった。江戸時代は、今のように排気ガスや、環境汚染に悩まされることも少なかった。そのような問題が顕著になったのは、明治以降の産業革命があったせいであろう。しかし、産業革命がなければ、今のように好きなものを食べ、好きなものを着、好きな場所に行くなどと言うことは到底できなかった。それどころか、産業革命がなければ列強諸国にいいように扱われ、江戸時代の生活よりもひどい人生が待っていたかもしれない。過去の人々が脱却したい、このままではだめだと働きかけたからこそ、現代の日本が存在するのだ。過去を振り返ることはよいことである。しかし、過去を歪曲して捉え、あまつさえその時代に戻りたいと思うのは、間違っているだろう。

第二の原因として、ヒトは本質的に失ったものを惜しむからである。誰しも、あの頃はよかった…という老人の代名詞のようなこの一言を聞いたことがあるだろう。実際、かつてその人が生きていた時代の方が、今の時代よりも優れていたかどうかはさておき、過去の物を懐かしんでいるという点は間違いないだろう。過去を懐かしむことは悪くない。前述の理由と重なるが、過去を懐かしむことは昔の経験を今に生かすか手にいもなる。それにくわえ、過去を懐かしむことは今とはまた違った世界を振り返り、楽しむことともいえる。娯楽を無意味に規制するほど過激なことはないだろう。しかし、例外はあれど、今を生きている我々からしたらそんなことは老人の戯言としか思えない。というケースも多い。本人多たちからすれば楽しいかつての思い出でも、聞いている側としては今の方が断然よく思えることなどあるだろう。ゲームもスマホもSNSもない。学校では体罰が当たり前。環境汚染も今より深刻となれば、今の方が断然暮らしやすいと思っても致し方ない。まあ、それも私が若者で、その時代を生きてその時代の楽しさを知っている人でないから言えるのかもしれないが。とにかく、ヒトはなくなったものを惜しむ。老人にとって、それの一つに過去があるのだろう。もしかしたら、実際に生きたその時よりも過去を美化しているかもしれない。そして、これは老人だけに言えることではない。人類という大きな枠組みで見れば、我々は過去、つまり歴史の教材に書かれているような時代を失っているのだから。

もちろん、既に散々書いたように過去を顧みることで得られる利益も当然ある。しかし、過去を振り返ることと、過去へ戻っていくのとでは、まったく事情が違うものだ。過去を顧みて、今をよりよくしていく事には未来がある。しかし、なにかれかまわず過去に戻していてはいけない。たとえ、一見正しく見えるものでも、物事には必ずデメリットがあるわけで、メリットデメリットが現代社会に適合していけるのかという問題も当然あるだろう。人は良くも悪くも、元ごとを極端に見ることにたけている。過去の人々が脱却したいと願い、汗水流して血のにじむ努力をして尽力を尽くして今があるのだから、昔を顧みることもいいが、現代という時代を振り返ることも、また大切なのである。少なくとも私はそう思っている。