背中合わせ
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 科学が人間にもたらすものには多かれ少なかれ必ず明暗両面が存在する。近年の科学技術の進歩の速さは、人間と社会とに軋轢を生じさせている。科学技術により、より多くのことが明らかになった。しかしそれとともに、生と死のグレーゾーンの拡大、ワクチン接種の是非などという、ものごとの本質が単純ではなくシロかクロかを言い切れないことも明らかになった。新たな問題が増えている今、私たちは感情論や上滑りの議論に流されることなく、科学的知識に基づけて広い視野での判断を下すべきだ。そのために、科学について私たちに教えてくれる、「インタープリター」、いわば解説・評論者が必要となる、と筆者は考える。この科学の発展に伴って人間の尊厳が失われつつあるのは問題だ。



 第一の原因として、遺伝子編集の技術の進歩があると思う。あなたはデザイナーベビーや出生前検査といったことを耳にしたことがあるだろうか。デザイナーベビーとは受精卵の段階で遺伝子操作や胚の操作によって、外見や能力を変えられた子どもの総称である。それを良いというのか、それともそれは自分の子ではない、と考えるのか。人それぞれであるが、私としては、望ましい姿に強制的に作られた存在は、尊厳のない存在のように感じてしまう。デザイナーベビーは、正直映画の中の話のようで現実味がない。そこでより身近にあるものとして、出生前診断がある。胎児に障害が発覚した場合に人工中絶を選択できるというものであるが、障害のある人の命の価値が軽視される危険性を孕んでいると強く思う。



 第二の原因として、延命治療によって命がより長く保てるようになったことがある。人工呼吸器や点滴などで本来なら助からない命を生かすことができるようになったのだ。



 確かに、科学によって、生きる選択を広げれるようになった。それはある意味では人の尊厳を高めているのかもしれない。だが、扱われ方によっては人の命を否定するようなものもある。科学の発展そのものが、人間の尊厳を失わせているのではなく、私たちの扱い方がそれを左右しているのである。適切な規制や自己決定権の尊重があれば、人間によってプラスになるだろう。だからこそ、今日の科学の現状は、正確にわかりやすく伝達されなければならない。本文の「インタープリター」のような存在は、これから今以上に必要となるに違いない。