優れたものを、自分のものに
中3 蜩(aeriya)
2025年8月3日
大きな木の下には草も育たない、という。大木はすばらしい。寄らば大樹のかげ、という言葉もあるくらいである。すぐれた本も大木のようなところがある。その下に立っては手も足も出ないで、ただ、大著名著であることを賛嘆するにとどまる。大木は遠くから仰ぎ見るべきものと思って、早くその根もとから離れる必要がある。すぐれた師匠の門下にかならずしも偉才傑物ばかりが輩出するとは限らないのは、大木の枝の下で毒されて伸びるべきものまで伸びないでしまうからであろう。圧倒されそうな影響をもっているものには不用意に近づかないことである。優れた物からはちょっと脱線するような生き方をしたい。
第一の方法は自己流をおそれない姿勢を持つことだ。私は中学3年で来年に受験を控えているため、そのための勉強を毎日している。私は勉強は自分で進めたいため、塾には通っていないが、やはり一人だけだと限界があるため、オンライン塾のようなものに通っている。私はそこで、週の勉強計画を立てたり、勉強の進め方などを見てもらっている。そこでは、基本自分で学習を進めるのだが、定期的に先生から新しい勉強法などのやり方が送られてくる。そしてそこの塾では、その勉強法をそのまま使うのではなく、自分なりにやり易い方法に改善し、「自分の勉強法」を作ることを進めている。私も自分なりに勉強法を改善してみたところ、正答率などがとても上がった。ここから、優れたものをそのまま活用するのではなく、自分なりにアレンジし新たなものを作ることも大切である。
第二の方法としては、異端を認める余裕のある社会にすることだ。その中の例として昆虫食があると思う。昆虫食は昔から世界中にあった。タガメ、アリ、カミキリムシの幼虫など様々な種類がある。日本では蜂の子やイナゴが有名だ。しかし、あまりメジャーとは言えなかった。いわゆる食べ物の中の異端とも言えるべきポジションであると言えると思う。だが、最近昆虫食というものが話題によく上がる。社会の授業中、何かのきっかけで昆虫食が話題に上がった。先生によると、昆虫は酒のおつまみにすると美味しいらしい。今はコウロギ煎餅など、みじかなとこにまで浸透してきている。栄養価も高く、同じ甲殻類のエビでできた、えびせんとあまり味が変わらないらしい。テレビで紹介されたりし、昆虫食も世の中のメジャーな存在になりつつあるのかもしれない。このように、どんなものでも受け入れて、多様な社会を作っていくことは大切である。
確かに、優れたものを模倣すると優秀になれるかもしれない。しかし、それはあくまでも「マネ」であり、自分の生み出したものではない。かの有名な作曲家シューベルトも、先人たちを参考にして作った曲よりも、自分が得意な歌曲の方が彼らしさを反映でき、高い評価を得られている。このように、『私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値がある。』という名言もあるように、私は優れたものに自分なりの良さを足して一歩さきのものを作れるような人になりたい。