花の絵を描き始める時(感)
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年月日
花の絵を描き始めるとき心は画用紙のように真白でありたいと思っている。同じ名前がついている花でも人間の顔が違うようにそれぞれの表情を持っているからだ。花は風で折れてぶら下がっているものあれば、病気か何かでゆがんで咲いているものもある。日向で勢いよく咲いているものもあるが、根元の方では雨で土の跳ね返りを受け、薄汚くなったものもある。その情景を見ていると人間の社会と似ているように感じる。花の色が一日にして変化するのだから、自分の秤で決めつけるのは全く間違っていると思う。
僕は四年生のころ遊ぶときに時々ある友達ともめることがあった。その友達は鬼ごっこのルールで自分の立場が悪くなると自分の都合のいいように勝手にルールを変えてしまう。このことでほとんど口を利かなくなったが、ある日学校の給食で余ったデザートをめぐってじゃんけんが行われた。そのじゃんけんで僕と、その友達と一騎打ちになった。僕はそのじゃんけんに負けてしまったが、その友達はデザートを譲ってくれたので、自分勝手な面があって、いやだったが、譲れる思いやりがあり、優しい一面もあるのだなと思った。人の内面は、まるで絵の具のようにいろいろな色があるのだと思った。
僕が一年生のころ、なすが食べられなかった。何故なら、なすの紫色が、毒があるような色に感じられ苦手だったからだ。ある時、母が焼きナスを作って食べるように勧めてきた。最初は食べたくなかったが、食べてみようかと思い、恐る恐るなすを口に運んだ。すると口の中で一瞬でとろけるような触感と少し甘みがとても美味しく感じられた。僕は最初の見た目だけでなすを食べようとはしなかったが、先入観を強く持たずに、少しの好奇心と勇気をもってチャレンジすると、何かの可能性が拡がるのかもしれないと思った。
この文章を読んで、僕は最初の見た目や先入観だけで、人の心を決めつけたり判断することは間違いだということが分かった。僕はこれから一つの物事を見るときは、沢山の角度や視点から見るようにしていきたい。そして筆者が花の下にある葉の一つ一つやその下にある土の中の根まで美しさを見出すように、僕もすぐには見えないところを感じる心を育てていきたいと思った。