ユーモアについて話が
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イギリス人はユーモアのセンスと言うものには特別なプライドを持っている。例えばイギリス人に向かってモラルがないとか仕事ができないと言っても怒るりはしない。しかしイギリス人にユーモアのセンスがないと言ったら、ぶん殴られるはずだ。国民性の違いと言ってしまえばそれまでですが、日本では4の韓国はそれほどまで高く評価されていないように感じます。数学なら数学、物理、物理、こういう真面目なことと言うものは一生懸命努力すればわかります。少なくともわかるはずです。しかし、ゆうまと言うものはユーモラスと感じるか感じないかと言うセンスの問題になるわけです。

わたしの母と父ユーモラスのセンスをいつも持っている。前に、家族と出かけたとき私と父、母と妹の二手に分かれて、行動することになった。実は、私と父はかなりの方向音痴で、以前にデパートのトイレで迷子になったことがあった。母はそのことをよく知っているので、出かけるころになるとわざと心配そうな顔をして、しかし若干ニヤニヤしながら

「大丈夫?トイレで迷子になってそうだけどちゃんと帰って来れる?」といい、父が苦笑いしながら

「いや、あのときはたまたまトイレのつくりが難しかっただけだし。」と言う。これで私と妹はチラッと見あって爆笑した。私はユーモアのおかげで家族が面白く、仲良く過ごせるのだと思った。

 妹にユーモアのある人について聞いてみた。すると、すぐに2年3組の先生がとても面白いと言った。その先生は普段からとても優しい先生で面白いことも言う先生だそうだ。1番印象に残っている面白かったことは、節分の行事の後に起こった出来事らしい。その行事の後、廊下に行事後特有の少し疲れたような堅苦しい雰囲気で並んでいたら、その先生が「今日は餃子だから行列ですね」と言った。みんな一瞬、顔を見合わせて戸惑った様子があったが、すぐにそのダジャレに気づいて大笑いしたそうだ。妹はそのことを話しながらとても面白そうに笑っていた。私は、その話を聞いて、ユーモアは人を笑顔にさせる力を持っていると感じた。

 人間にとってユーモアとは、「笑門には福が来る」と言うことわざがあるように仲良く笑って元気になれる力を持っている。だから、これからはユーモアのセンスを大切にしていこうと思った