国際人とは一体を読んで
小5 あかたよ(akatayo)
2025年8月3日
国際人とは一体を読んで
国際人とは一体どんな人間のことなのか、わかっているようでわかりにくいが、外国人を相手に自分の考えを伝えたり心を通わせることのできる人ではないかと思う。それは論理的に思考し、論理的に表現する能力を持つことだ。日本とアメリカの教育に違いは、アメリカは順序良く論理的に考える教育だが、日本は覚えるだけの教育で論理的思考が育ちにくい。アメリカ教育のような論理的思考を育てるには、人間の思考と深く結びついている言葉を大切にすることが効果的である。それには、国語教育を充実させることが第一と思われる。
ぼくにも似た話がある。それはお母さんとの会話だ。リビングに居る僕が、お母さんに牛乳を僕のところまで持ってきてもらいたいときの言葉のやり取りだ。ぼくは、台所にいるお母さんに「ねーえ!牛乳~~!」とお願いすると、お母さんは「牛乳がどうしたの?叫びたいくらい牛乳が好きなのね。」と答える。ぼくは「牛乳~!頂戴!」とお願いすと、「牛乳は冷蔵庫に入っているから、どうぞ。あげるわよ。」と言う。ぼくは今度こそ牛乳を持ってきてもらいたいから、「牛乳を持ってきて!」という。するとお母さんは、牛乳をパックごと持ってくる。「も~!牛乳が飲みたいから、コップに牛乳を半分入れて、僕のところに持ってきてほしい。」と言うと、お母さんは快く引き受けて、牛乳をコップに半分程入れて僕のところに持ってきてくれる。このように、知っている言葉をただ投げかけるよりも、因果関係や順序良く伝えるという事の方が、論理的言葉と表現の練習になるのだと思った。
また僕の学校では、論理的思考を育てる教育をしていると感じた。例えば算数の授業で三角形の面積を求める時、先ず先生は、どうしたら面積が出せるかを質問する。僕たちは、タイルを使って数える。それから、大きな数だとタイルを数えるのは大変だから、簡単に素早く求めるにはどうしたら良いかを考える。数時間考えた後、最後に公式を教えてもらう。さらに、どうしてこの公式になるなのかをも考える。また、考えるだけではなく発表したり意見の出し合いをしたりしながら授業は進められていくので、まるで大学のゼミの様だ。そしてぼくらの毎日は「どうして?なんで?」の連続で、まるで毎日、なぞなぞを出題されているようだ。。このような授業では、公式に頼らなくても、自分で考えることが出来るようになるので、公式を丸暗記するような日本の教育とは違ってアメリカ式なのかもしれないと思った。
ぼくはこの話を読んで、国際人になるためには、自分の考えを伝えて心を通わせることがとても大切なことだとわかった。今以上に国語を学び、言葉を大切にして、だれとでもコミュニケーションがとれるような国際人になりたいと思う。今取り組んでいる作文を書くことについては、言葉や思考を整理できて、読解力や論理的なことも学べるとても良いトレーニングだと思った。これからも自分で考えて、その考えを表現できるようにすることを大切にしていきたい。ぼくは今日も「作文教室 言葉の森」へログインした。