吉川のパスは
中3 まさゆき(akiroma)
2025年8月2日
サッカーの秋の都大会では決勝まで進み、延長戦でも決着がつかなかったのでペナルティーキック合戦にまでもつれこみ、結局準優勝に甘んじた。夏休みの練習計画が発表されたのだが、毎日朝九時から夕方六時まで練習メニューが決められ、休日は一日もなかった。吉川という天才的な選手を得て、都大会優勝は今年を逃しては当分無理だと読んだ浅野の決意の表われた計画表であった。しかし、宗介の学業成績は、もう少し頑張れば進学校といわれる都立高校に手が届く程度のものであり、夏休みの期間の勉強が大事であるため、サッカー部を退部した。その後、受験勉強を理由に三年生のレギュラーたちが翌日から次々に退部を申し出るようになってしまった。しかし自分は、浅野の立てた計画表は良くないと思った。吉川や宗介は中三であるわけで、サッカーなどのスポーツに打ち込むことも大切だが、受験前の最後の夏であるので、練習を毎日のように午前9時から午後6時まですべきではなく、勉強する時間も作るべき思う。
一つ目の理由として、高校進学は、将来の自分のある程度の方向性が決まるものであり、いい高校にいかないと今後のできる幅が減ってしまい、また巻き返すことは厳しいということが挙げられる。例えば付属の高校に入れば、そのままその系列の大学に行くことが多いし、あまり頭の良くない高校に入れば、そこから巻き返して東大などの難関大学に行くのは難しい。そのように義務教育ではなくなってしまう高校からは、どこに行くかによって自分の人生が少しは左右される。自分が学歴中ではないが、学歴と年収や幸福度は、相関関係がある。例えば、40代における年収の差は、中卒と高卒の間で200万円程度、高卒と大卒の間で150万円程度の差が開く。大学ごとや高校ごとでは、調べていないものの、ある程度学歴の高い人の方が幸福である。そんな人生の中で大事な選択である高校受験は、学歴となり差を生んでとても大事なものである。
二つ目の理由として、高校進学は人生で一回限りの決断であり、サッカーは受験後の高校や社会人からでも楽しめるから。別に高校に入ったからサッカーなどのスポーツができないという制限がされるわけではない。だからこそ中学で勉強に集中し、少しスポーツをおろそかにして私はいいと思う。別にスポーツをするなと言っているわけではなくて、勉強とスポーツとの配分を考えていかなければならないということだ。実際に例として、自分と同じ野球のチームメートが挙げられる。そのチームメートは、同じように野球と勉強の二つをやっているわけだが、高校でも野球をするから今は野球の練習に、来たり来なかったりしている。そのようにうまく適切に使い分けることによって、勉強に響かない程度の量の野球をすることによって、勉強と野球の両立ができている。
このように高校進学は、人生の方向性が決まるものであることであるのとスポーツは今後もできるということから、優先順位を考えて勉強を優先した方がいいと思う。「僕たちは皆、毎年毎年違う人間だ。一生を通じて同じ人間なんてことはない。」とスティーヴン・スピルバーグが言うようにずっと同じことを夢中になってはいけないのだ。