子供のころに道に
   中3 あかとあ(akatoa)  2025年8月4日

 子供のころに、道に迷わなかったのは、地図を使わなかったからではないだろうか。動物は地図を持たない代わりに、習慣によって獲得した目的地までの道筋や情報を、無意識のうちに蓄積しており、その情報に忠実に行動する限り、動物は迷いにくい。人間は、地図という文化をもったことによって、かえって迷う可能性が高くなった。人間の作り出した情報は、行動の助けになるものであると同時に、反面、使い方がきちんと身についていない限り、逆の結果につながる危機すらある。

この文章を読んでまず考えたことは、人間が地図という文化を持ったことで、かえって迷いやすくなったという意見には一理あるということである。私自身、子どものころは地図を使うことなどなかったが、近所の道に迷った記憶もほとんどない。おそらく、日々の生活の中で自然に道や目印を覚え、それを頼りに移動していたからであろう。しかし今では、スマートフォンの地図アプリに頼ることが多くなった。その結果、電池が切れたり電波が届かなかったりすると、急に方向感覚を失ってしまうことがある。つまり、情報や道具は本来役に立つものであるが、使い方を誤れば逆に混乱を招く危険があるという指摘は、現代社会において非常に説得力があると感じた。

 一方で、この考え方には反論も成り立つと考える。地図や情報が存在するからこそ、人間は未知の土地に踏み込み、より広い世界へと行動範囲を広げてきたのである。動物のように習慣に従って行動すれば迷うことは少ないかもしれないが、その分だけ移動範囲は限られてしまう。人間は地図を手にすることで遠方へと旅立ち、新しい発見や文化と出会うことができたのである。たとえ途中で道に迷ったとしても、それは新たな経験や学びの機会となる。実際に、旅行先で道に迷ったことで偶然素晴らしい景色に出会ったり、親切な人と交流したりすることもある。したがって、地図があるから迷うようになったのではなく、地図があるからこそ「迷うことができる」ようになったとも言えるのである。迷うことは必ずしも失敗ではなく、むしろ人間の成長を促す要素でもあると考える。

 結局のところ重要なのは、賛成や反対の立場そのものではなく、地図や情報とどう付き合うかという姿勢であると私は思う。道具に頼りすぎれば自分の感覚は鈍り、危機に弱くなる。しかし道具を正しく活用しつつ、自分自身の観察力や経験を重ねていけば、より強い判断力を身につけることができる。たとえば、地図を見て確認しながらも自分の目で周囲の様子を覚えるようにすれば、道具が使えなくなった場合でも落ち着いて行動できるであろう。これは勉強や人生全般にも共通する考え方である。他人から与えられた情報や知識にただ従うのではなく、それを参考にしながら自分の頭で考え、体験を通して確かめることが大切である。結局、迷うかどうかを決めるのは地図そのものではなく、それをどう使うかを選び取る私たち自身なのである。