対立の解決法
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現代の日本の社会というのは実に流動的だ。従来のコミュニティー的、伝統的な人間関係が大幅に崩れ、社会内で諒解しあっているような自明なルールによっての解決が困難な問題が増え、法の重要性が増している。何らかの公的な解決の場にもっていき、はっきりしたルールの下、当事者間の話し合いによって解決することは今後のことを考えると好ましい。私たちは対立の解決に消極的になるべきではない。
第一の方法は、感情的になって自分の意見に固執しないことだ.明確な理由、証拠にそって議論し対立することをやめればその対立からより良い出力を得ることは難しくなる。感情的にならずに自分の意見、意思を冷静に表現し通すことは長期的に見て自分のみならず全体にとっての成功となっていくと思う.私もよく親子喧嘩をするのだが、大体の場合、最初は冷静さを保って議論していても途中から特に母の方が感情的になってしまう.そうなるともう対立の根本を解決することは難しいし、親だからまだ良いがこれが他人だと今後の関係にも影響を及のぼしてしまうだろう。
第二の方法は、自分の立場の優位性を武器に相手を抑えないことだ.つまり、論理によって相手と意見をすり合わせ納得しあい、解決という手順を踏まずに、自分の方が立場が上であるということで相手の意思を潰すことである。この場合、相手には不満や報復の意思などマイナスの感情が生まれ、後々の関係性に禍根を残してしまう.例えば部活などのような縦の関係性がある組織内で一つの物事を議論して決めるとする.この時に部長だったり顧問の先生だったりが自身の立場を利用して一方的に意思を押し通しても、みんなで作ったより良い案は生まれないし、組織内に積極性も失われてしまう。私は部活の合宿の行程決めで新入部員であったが自分の意見に耳を傾けてもらい、反映されたので、今後も自分の意見を持って組織に貢献していこうと思えた.また、国家単位であっても武力による解決は根本的な問題解決とはならない.それは帝国主義の植民地支配など歴史が証明している。あくまで関わっている全員が納得し、解決に従わなければ上手くいかない。
確かに解決か困難な問題もある。その問題の根本的なところで矛盾があったり相容れない場合だ.これは国家の間で考えるとわかりやすい。社会主義と民主主義が最たる例であり、旧ドイツの反共主義と旧ソ連の対立も一例である.ただ、多くの場合、特に身近な対立は解決できることがほとんどだ.話し合いで解決できなければ国家の権威、法を使い、裁判所で争ったりするなど解決方法はいろいろ存在している。「拳ではなく舌に頼る.その時壁は橋となる。」ように私たちを対立や争いを論理的な議論によって解決するべきだ。