押し付けではなく提案を
   高2 うた(aimee)  2025年9月1日

 日本で肉食が贅沢だと言うなら、欧米諸国では穀物は贅沢品である。両国間には気候条件の違いがあり、それが大いに関係している。欧米諸国で水稲を栽培できる場所は皆無に等しく、麦を栽培していると言えど、そもそも食用作物のとれる耕地が少ない。よって家畜が食用にならない草で育つ分には、肉食は経済的であり、それが唯一の満腹することのできる道なのである。ヨーロッパ人の肉食率が高いのは、彼らが恵まれていたためではないのだ。肉食は贅沢だ、といったような日本の考えを他国に押し付けてしまうのは問題である。



 一つ目の原因としては、自分が育った文化を基準だと思いやすいからだ。家庭が小さな文化だと考えるとわかりやすいだろう。例えば私の家ではご飯中に何かを見ることは許されない。食事中にテレビがついていることはなく、ユーチューブを見るなどは言語道断である。しかし、友人の家では、朝ごはんの時にテレビは必ずついているものらしい。朝にテレビがついていたことはない、と私が言うと、とても驚いたように「いつニュースを見るの?今何が起きているか、何も知らないということ?」と言われた。これも家庭の文化の違いである。私の家では新聞とラジオが時勢を知る主な媒体なのだ。同じことが国の間の文化の違いにも言える。ピアノの先生曰く、イタリア人の時間感覚は日本人と真逆らしい。その先生がイタリアでピアノを勉強していた時、時間通りにレッスンに向かったら、まだ先生(レッスンの主のこと)がご飯を食べていた、お昼寝をしていた、などということが日常茶飯事だったらしい。時間をきっちり守るという文化ではないのだろう。それは決して悪いことではなく、イタリアは時間の流れが緩やかで、私の好きな国の一つだ。しかし、その話を聞いた時はやはり文化の違いをひしひしと感じた。



 もう一つの原因は、日本という社会の性質・傾向にある。島国であることや、それに応じて民族・言語の多様性が大陸の国に比べると少ないという背景から、似た価値観を共有しやすく、したがって日本は同質性の高い社会である。「空気を読む」であったり「同調圧力」といった性質がある。外は暑いけれど、教室のクーラーが効きすぎて寒すぎた時、授業中であるので「寒いけど、空気的に今温度を上げるのは気まずい」と思い、誰も言い出さずに我慢大会になったことがあった。ついに一人が勇気を出して、先生に言ったときにはみんなから小さく拍手があがったのであった。このような同質性の高さは、国内では秩序を保ち、衝突を避けるという点ではメリットがあるものではあった。しかし、それゆえに異なる価値観に対して柔軟に対応することが難しいのである。



 確かに、日本の常識とされるものの中には、マナーやルールとして普遍的に役立つものも多くある。時間を守ること、周りに合わせること、などはどの国でも円滑な社会生活に役立つだろう。だがしかし、相手の文化を知ろうともせずに否定をするのはよろしくない。日本でも、箸なんか使う必要がない、箸がなくても食べられると否定されるのは悲しいだろう。しかし、そこで、「箸を使う文化なのは理解した、でも食事を取るのが遅くなってしまうから、フォークとスプーンで食べても良いか?」という提案をされる分には、問題がないように思う。日本の考えを他国に押し付けてしまうのは問題である。文化をリスペクトすることは、その文化に順応することではなく文化を受け入れて少しでも努力をすることである。