自己家畜化と人間の自由
中1 ジュンノスケ(akasiyu)
2025年9月1日
人間は自ら作り出した社会システムに依存し、自己飼育・自己家畜化している。動物の飼育が食物や生活空間の供給を基盤とするように、人間も社会を通じて食物や生活を支えられており、それは自力で生きるよりも依存的である。人間が作った社会システムに依存して暮らしている所は放飼場のついた飼育場で飼育されているのと、大差がないと感じるのだ。動物が生きることは、まず生態学的・生物学的に食物をとることに尽きる。動物の生活すべては、食物をとることが中心に営まれている。その成果にもとづいて繁殖がなされる。食物を供給されることは、まるで全生活の面倒を見てもらうのに等しい。ヒトは社会システムに参加することによって社会的に飼育されているとも言える。
私はこの文章を読んで社会生活を営んでいる限り家畜化は仕方ないが、そんな社会の中でも自由に生きることが必要だと思った。理由は二つある
一つ目の理由としてずっと同じように暮らしていればストレスもたまるからだ。
人間、朝の時間なんかは、いつも同じ時間に起きて同じ行動をして毎日同じ便のバスに乗る。こんな生活も社会に生きている限り仕方ないことだ。しかし、そんな社会ではストレスがたまることも多いだろう。そんな時、社会の中でも羽を伸ばしゆっくりとくつろぐことはストレスから脱却する重要な一手になるだろう。近頃の人はSNSでストレスを発散する。これでストレス発散になるのだろうか。画面の向こう側の人のことを考えるといかがなものかと私は思う。
二つ目の理由として、自由に生きることで、人間の本能を引き出して生活に活用することができるからだ。豚を例にしてみよう。豚は人間に家畜にされてより一匹当たり多くの肉をつけるように遺伝子組み換えやら、なんやらをして、人間に得になるように仕組まれた。では、社会に家畜化された人間はどうだろうか。人間は、社会から、これと言って仕組まれた様子はない。しかし、家畜化した豚を野生に放すと豚の先祖であるイノシシに帰って野生生活に特化した体になります。これは人間にも当てはまるでしょう。社会から抜け出さなくても、自由な生活をすることで人間の本能を引き出すことができます。人間にとって好都合な本能を普段の生活に生かせるとしたら、今までよりも良い生活ができるようになるだろう。
確かに、人間全員が自由に生き続けたら、社会の秩序が保てなくなってしまう。
しかし、「人は制服通りの人間になる。」という名言があるようにずっと型にはまった同じ生活をしていては窮屈で、先に述べたようにストレスが溜まってしまう。そんなストレスを楽しく発散するためには、たまには都会の雑踏から離れて旅行に行くなど社会の中でいつもより、自由に羽を伸ばして休んでみたらいかがだろうか。