ユーモアと人の笑顔
小6 はる(akiiko)
2025年8月4日
ユーモアと人の笑顔
イギリス人がユーモアについてあるものを読んだらこうあった。
「私たちイギリス人はユーモアのセンスというものには特別のプライドを持っているし、また、それについて敏感である。例えばイギリス人に向かってモラルがないとか、仕事ができないと言っても怒りはしない。しかしイギリス人にユーモアのセンスがないと言ったらぶん殴られるはずだ。他国では悪口を言う時、ばか、臆病者、極悪人などと呼ぶが、イギリスでは『ユーモアのセンスがない』というのである。これは、最高の侮辱となる。」
国民性の違いと言ってしまえばそれまでだが、日本ではユーモア感覚はそれほど高く評価されていないように感じる。
私はよくユーモアがあると母親や父親に言われる。最近言われた会話は、母と話している時のことだった。
「私、明日電車の帰り方わからない。」
「どーするの?。」
「勘で帰るわ。」
この時の状況を詳しく説明する。私は友達と遠くに行って遊ぶ計画をし、集合は現地に設定した。すると、着々と準備を進めていくうちに私はある疑問を抱いた。帰る時間がわからない。聞いてみても返事がないため、帰る時間が分からず、どうやって帰ろうか母と話していた時の会話だった。その時に最後の一言、「勘で帰る。」という言葉を発した時、家は笑いに包まれた。受けは狙っていなかったのに、自分の言葉がこの家の笑顔を生んだんだと思うと、自然と私も笑顔になった。
実はもう一つエピソードがある。先ほど述べた遊びの日の当日、私は心配だったため、集合場所に二十分ほど早くついてしまった。二十分も時間を満たせるものはあいにく持ち合わせていなく、何をして待っていようか考えた。すると、一ついい方法が思い浮かんだ。「カッコつけて待つ」のだ。ちょうど私は字がとても多く、中国の人が書いた詩集を持っていたため、その本を読みながら待つことにした。すると見事に、友達が来た際にとても笑ってもらえ、最高の笑顔が私の頭に残った。その顔を見て、私は又々人を笑顔にできて、とても嬉しかった。
私の学校には、性格が私と真逆な人がいる。いつも効率重視で、真面目なことしか考えず、「ユーモア」という言葉には一切の興味がなく見える。そんな子の場合、どうやって学校を楽しむのか、私は不思議になった。だから「その子のことを少し知ってみたいと思う。」と家族に話してみると、
「どれだけ明るい子に育つんだろう。」
と、また家族を笑顔にできた。この瞬間分かった。私は人の笑顔を見るのが好きなのだ。
ユーモアとは人間にとって、人生を楽しくし、人を笑顔にするものだ。私はどこか人の多い場所へ行くと、必ず数人からの笑い声が聞こえる。これは、誰かからのユーモアでできた笑いなのではないだろうか。ユーモアがないと、人は笑顔になれない。誰かのユーモアがあるからこそ、この地球は成り立っているのだ。