自分のことを知る
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動植物は視覚や触覚、聴覚を活用することによって物の形を認識する。特に視覚、目はたいへん有効な感覚器だが、一つ欠点が挙げられる。それは物の大きさが分からないということだ。確かに大小は見れば分かるがそれは相対的な大きさの測定である。顕微鏡で見たものの大きさは倍率を知らない限り分からないように視覚系のみでは大きさの絶対値を知ることはできない。幾何学の世界では比例や相似である。つまり視覚は大きな脳を必要とする絶対座様を目に加えなかったのだ。
確かに相対的ということは私達にとって便利である。世の中は相対的なデータで溢れている。テレビやスマートフォンを通して見る資料の数値は過去のある地点と比較され、議論が起こる。以前には新型コロナの感染者数が毎日のように発表されていたが、この一日ごとに出される数値も昨日の感染者数と比べながら今後の流れを予測していた。身近な場所である学校でも同じことが言える。働く教職員も偏差値や入学者数など、数々の相対的なデータを他校や過去を対象に比較することによって学校の今後の方針を定めていくのだろう。このように相対的なデータをもとに比較することによって自分の現在地を知り新たな目標を立てたり、既存の目標を立て直したりすることができるのだ。私にも似た経験がある。私の学校では一年生時に全国学力推薦調査を春と冬に行っている。試験数週間後にはテスト結果と解答解説、そして現在の学力に基づいたアドバイスが返ってくるが、これには教科ごとの正答率のバランスや順位といった相対的なデータが多く掲載されている。このデータがあるからこそ、自分に足りていない単元を客観的かつ視覚的に理解することができ、これが効率的な補習に繋がる。私は二年生に進級する前、この模試の数々のグラフを参考に勉強計画を立て直した。確かに自分の力で勉強を続けることにも価値はあるが、時には相対的なデータを活用することで今のレベルに沿った勉強をし、力を伸ばすことができるのだ。
一方人生には絶対的なものが必要なときもある。ここで言う「絶対的なもの」とは価値の変わらない目標や信念といった目に見えず比べることのできないものである。これらが人間に大きな力を発揮させるのだ。「走れメロス」からもこのことが言える。主人公のメロスが途中で様々な災難に会いなからも走り続けることができたのは唯一の友人のためと王様の間違いを正したいという揺らぎない強い信念だけである。ここに相対的なデータや先例はない。ただ自分の心と目標に従い走り続けただけなのだ。だからこそ、友を助け、王の考えを変え改めるほどの、つまり周りの心を揺り動かすほどの大きな力を発揮できたのだろう。もしも先例に則り動き始めたとしたならば達成できなかったことである。相対的なものは状況に応じて揺らぎ時に頼りない存在となる。しかし人と比べられず変わることのない絶対的なものをもとにコツコツと努力を積み重ねることで誰も成し遂げることのできなかったことを達成することができるのだ。
確かに相対的なものも絶対的なものもどちらも大切だ。しかし最も重要なのは自分を見つめることである。「汝自身を知れ」というソクラテスの言葉がある。絶対的な目標を立てるのか、それとも相対的な目標を掲げるのかよりも自分の内面を理解していなければ有効な目標を立てることはできない。私もまずは自分のことを深く理解することによって何をもとに自分の次のゴールを決めたいのか考えていきたい。