私は二十年ほど前から
   中1 なかすけ(nakasuke)  2025年9月1日

 人間は自らを自らで飼育し、馴化している。自己飼育、自己馴化である。人間というもののあり方が、自ら飼育していくという意味である。自ら作った社会システムに依存して暮らしている。人間は社会システムに参加する事によって社会的に食物を供給されている身なのだ。社会システムにせよ、食糧生産にしくみもまた、人間がつくっているので、自己飼育・自己馴化である。比喩として言えば、現代の青年や子供は、座敷イヌと類似している。自己家畜化が、特殊な条件下で自己ペット化に至ったものと言えよう。自己家畜化は、「もの」や「人工的人為的世界」の中で形質を決定づけている、基本的な人間のあり方である。ある程度の自己家畜化は必要だ。

第一の理由として、規則正しい生活をすることによって、一日を有効に使うことができるからだ。夏休みのときと学校がある日を比べてみる。夏休みのときは、だらだらしてしまったり、規則正しい生活が乱れてしまい、早寝早起き朝ご飯が遅寝遅起き昼ご飯になってしまう。また、休みになると、勉強をしなくなってしまう。しかし学校がある日の場合、自己家畜化のひとつである校則を守らなければいけない。そのため規則正しい生活を送れるようになる。時間割のように決められた通りに授業をすることで、しっかりと勉強ができる。部活が運動部の場合は、適度な運動もできる。夏休みの日よりも学校がある日の方が、充実した一日を過ごすことができるのだ。

 第二の理由として、みんなが自由気ままにやっていたら社会の秩序が保てなくなるからだ。もし学校に校則が無かったらどうなるのだろうか?まず、学校全体が乱れてしまい、身勝手な行動をする人が増えることによって、集団として成り立たなくなってしまう。自由になることで、一部の人間は自分の欲求に我慢できず、マイペースになってしまうのだ。自分に厳しくするには、自己家畜化が大切なのだ。バスや電車が時間通りに来なくなってしまったら不便になってしまう。このように、自由であることに固執するのではなく、自分を自ら育てて成長させるためにも、自立心を高めることが大切だと思う。

 確かに、人間には自由が必要だ。しかし、「時間だけは神様が平等に与えて下さった。」という名言があるように、自由になるといずれ暇になってしまい、無駄な時間が増えてしまうため、時間をうまく使うために自己家畜化をして、充実した一日を過ごせるようにしたい。