社会の一員として
中2 あけみお(akemio)
2025年9月1日
二十年ほど前から、人間は自らを飼育し、自己家畜化している。人間は自らを自らで飼育し、馴化している。ヒトの食物のとり方を獲物をとる動物の場合になぞらえれば、漁業や農業その他、食物生産のすべてを個人でやらねばならなくなる。別の言い方をすれば、ヒトは社会システムに参加することによって、社会的に食物を供給されている。社会的に飼育されているともいえる。現代の青年や子供は、自己家畜化が、特殊な条件下で自己ペット化に至ったとも言える。自己ペット化は、その自己家畜化の管理・保護と人工化がより進んだ現代的な先進国での特殊な状態だとみなせる。私は、ある程度の自己家畜化は必要だと思う。そう思う理由を二つ述べる。
一つ目の理由は、規則正しい生活をすることによって一日を有効に使うことができるからだ。私は、早起きをするのがとても苦手だ。前日の寝る前に目覚ましを設定しているはずなのに、目覚ましが鳴っている音が聞こえない。ついこの間も六時に起きて夏休みの宿題をやろうと決めて寝たのに、気づけば十一時過ぎだった。母に「なんで起こしてくれなかったの」と文句を言うと、「何十回も声をかけたよ」と言われ、言葉が出なかった。「昨日あんなに張り切ってたのにね」と母に言われて、少し悔しかった。朝のスタートがずれると、やろうと思っていたことができなくなってしまい、一日が無駄になってしまうと身をもって感じた。このように、規則正しい生活をすることは大事だと思った。
二つ目の理由は、みんなが自由気ままにやっていたら、社会の秩序が保てなくなるからだ。姉の陸上の試合を見に行こうとしたとき、バスが時刻通りに来ず、とても困った。試合開始に間に合うように余裕を持って家を出たのに、いつまでたっても来なくて焦った。ようやく乗れたが予定より大幅に遅れ、応援に間に合わないかと不安で胸がいっぱいだった。しかし、幸いなことに応援には間に合ったのでほっとした。公共交通機関が時間を守らないと、人々の行動や生活に支障が出てしまうと感じた。また、私が中学一年の二学期に、英語の先生と生徒の間でトラブルがあり、先生が学校に来なくなってしまった。英語の授業は突然なくなり、テストの準備もできずに困った。先日担任の先生が、「このことがあったせいで二年生の英語の学力が全体的に低くなってしまっている」」とおっしゃっていた。学校など社会生活では、決められた通りに生活するべきだと感じた。これらの経験から、社会の秩序を保つためには皆が社会の決まりやルールを守ることが必要だと私は思った。
確かに人間には自由も必要だ。しかし、「人はその制服の通りの人間になる。」という名言があるように、私たちは社会のシステムに合わせて生活していくことで、社会の一員となれるのだ。これから私は、社会の決まりやルールにしたがって生活していくことで社会の一員として生きていきたい。