脱線
   中3 あおさみ(aosami)  2025年8月4日

 私は、「脱線」を恐れず、自分の道を切り開いて生きたい。



 その方法として第一に、「脱線」に慣れ、選択肢を豊富に余裕を持つことだ。

脱線と聞くと、大胆で危険なことのように思うかもしれない。だが、脱線とは同じような日々に発見とときめきを届けてくれる「より道」のようなものである。例えば、いつもは手に取らない分野の本を読んでみたり、一駅早く電車を降りてみたり、今日の出来事や気持ちを絵や言葉で表してみたり。初めて寄り道をするとき、大人に怒られないか不安になるも、繰り返すうちに罪悪感すら感じなくなるように、「脱線」も繰り返すうちに不安が薄れ、自分の一部として溶け込んでゆく。「脱線」は自分の縛るルールから一度外れてみること。それによって自分の世界を広げてくれるのだ。そのことを感じたのは自分が学校へ行かなくなったときだ。通学中の生徒たちの声を聞いていると、部屋にいる自分が取り残されたようで虚しかった。しかし今振り返ると、それは「地図になかった小道」へのより道だったのだと気づく。そしてその小道は目的地としっかり繋がっていた。予定が崩れたり、他の人と違う道を歩いても大丈夫。急流でも緩流でもそれぞれの川は必ず海に向かうように、人生もそれぞれの形で前へ進んでゆく。私も学校に行かなくなったことで、読む本の数が増えたり、第二外国語の習得に向けて頑張ったりすることができている。また自分自身が経験した不安から、心理学についても関心が芽生えた。学校に行かないという選択を後悔するのではなく、他の選択肢をその横に並べてみる。何か計画を立てるとき、プランA・B・Cと複数用意しておくと安心だ。同様に人生でも考えてみてほしい。一つの道だけと自分を縛るのでなく、心にスペースを開けることで「脱線」がトラブルや失敗ではなく、新たな道へ導いてくれるきっかけとなる。これからも地図にのっている道をゆくのではなく、冒険心と共に自分で地図を描いていきたい。



 その方法として第二に、個々の力を伸ばすような社会になることだ。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本の主人公「ぼく」も通うイギリスの中学校では9年生(中学一年生)になると、gcseというテストに向けて科目選択を決定するそうだ。必須科目にプラスして、幅広い分野の科目から約5科目ほど選択する。gcseは就職や進学に大きく影響するテストであり、自分が選択した科目でgcseを受けることができるのだ。ビジネスやシティズンシップ、宗教など日本の大学生が学ぶような内容を中学生から学べる。私の学校は一斉授業が基本で、皆同じ9教科を学習する。副教科は特にテストのために覚えることが多く、あまり魅力を感じない。だからレールに敷かれた道を皆で歩くのではなく、自分の足で道を切り開いてみたいのだ。自分が興味・関心のあること、仕事にしたいこと、好奇心のまま掘り下げてみたいこと。人はそれぞれ苦手や得意な科目がある。全てをこなそうとするのではなく、絞られた科目を深く専門的に学習することが大切だと思う。また自分の能力と向き合い、将来の夢や目標について考えるきっかけになりそうだ。科目を選択するときに新たな分野に出会い、そこから広がる世界もあるはずだ。だからこそ、これからの社会には自分で選び、自分で学ぶ姿勢が必要になると思う。生徒が自ら学び方をカスタマイズできる仕組みがあれば、学ぶ喜びや「生きる力」が育つ。私も家での学習を通して、自分にとって必要で大切だと思うことに時間をかけるようになった。もしこのような学び方のできる社会になれば、それぞれの分野で活躍できる豊かで多様な社会になるだろう。



 確かに、先の見える安定した人生もある。しかし、「理想に到達するための手段はまた、理想への到達を阻む障害でもある」という言葉があるように、価値観や臆病さによって生きる道を狭めていることがあるかもしれない。自分の歩む道を何かのせいするのではなく、自分が納得して選んだ道だと胸を張って叫びたい。これから何度も厳しく辛い場面に直面するだろう。そんな時でも最善を尽くして前へ進んでいきたい。