映画「地球交響曲」の(感)
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年月日
映画「地球交響曲」のシナリオハンティングのため、フィンランド北部ラップランドの夏の森を歩いたのだが、その地に踏み入れて一番最初に見るものは、実は美しい木々や草木ではなく、おびただしい数の蚊やブヨの大群なのだ。短いラップランドの夏の中で、私から一生懸命に血を吸い取ろうとする蚊はまさに自然の摂理そのものである。私が感じるかゆさも、このラップランドの森が奏でるシンフォニーの楽音の一つであると考えれば、かゆさに心乱れることからは少し解放された気がした。私はこの文章を読んで、自然のなかの一員であるという自覚をもって生きていきたいと思った。
そのための方法としては第一に、すべてのものが助け合って生きていけることに気付くことだ。そうすることにより、人間のエゴで捕獲や駆除されてしまう動物が減り、また私たち自身も動物について興味関心を持つことが出来ると思う。皆さんは、夏に血を吸ってくる蚊を、私たちを不快な気持ちにさせるがために「この世から蚊がいなくなったらいいのに」と感じたことはあるだろうか。私は、毎年蚊に刺されるたびにそう思っている。しかしそのときにいつも思い出すのが、小さいころに読んだ本の一節である。それは、蚊がこの世から居なくなった場合、蚊を餌としていたコウモリやハエなどの生息数が少なくなり、どんどんと動物の生態系を破壊していくというもの。私はこの文を読んだときに、この世に生きている動物の中で、何一つ無駄な生物はいないことを思い知った。この体験から、人間に害が有るか無いかだけで判断をするのではなく、動物と私たちお互いの良いところに焦点を向ける視点が大切だということを知ることが出来た。
また第二の方法としては、地球も一つの命として大切に守ろうとすることだ。そのような意識を持つことで、海にプラスチックなどのゴミを捨てたり、森林を伐採して無秩序に都市開発を進める、といった自然、広く言えば地球に対して配慮をしないような行動を起こすことが減るはずだ。数カ月前、学校で環境の配慮について授業を受けたときに、多くの環境問題を学び、そこで初めていかに自分がこれらの問題について知らなかったかが分かった。私は、特に酸性雨やフードマイレージ、バーチャルウォーターの存在について知ることが出来た。また、自分と同様クラスメイトも同じような反応をしていたため、皆もこの授業で初めて知ることが多かったのだと思う。この経験を通して、現代の環境問題を知ることは、地球を守るための第一歩となることに気付いた。そして、自分たちがどのようにしてこの問題に向き合っていくべきかを考えることが、今の私たちに求められてきているのだと強く感じている。
確かに、最近の画期的な技術の進歩により次々と進む都市開発などは、私たちの生活をより便利で豊かなものにするという点で必要なものである。しかし、人工的な環境を増やし続けることで、失っていく物も多いのではないか。「存在するものには、良いとか悪いとかいう前に、すべてそれなりの理由がある」という言葉もあるように、人間にとっての不快なものさえ、実は大切な循環の中に位置しているものだ。人間中心のせわしない時間軸とは違う時間の流れが自然の世界にはある。私自身も幼少のころはその流れの中で生活していたように思う。人間側からの一方的なものの見方では到底見えないものが自然にはある。私自身自然の中の一員であるという自覚を改めて持つことで、周りを俯瞰的に見渡しものごとを客観的に見ることを意識して生きていきたいと思った。