日本社会における同調とその未来
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現在の日本社会においては、集団に同調することが強く求められている。小学校の授業で先生がわかりましたか、と問いかけると、わかっていない子どもも含めて一斉に、はいと答える姿は、その典型的な光景である。このような行動は、外から見れば秩序ある美しい場面に映る。しかしその内側では、本当は理解していないけれども、周りと違う反応をすると浮いてしまうという不安が働いている。つまり日本の同調は、必ずしも受け身の従属ではなく、むしろ和を乱さないために自ら選ぶ同調であるという側面をもつ。しかしその結果、個人が自由に意見を表明する機会が制限されるという問題が生じている。
第1の原因は、同調を重んじる文化が、個々の判断力や発言力を抑えてしまうことである。例えば医療現場においては、診察の場面で、医師が難しい専門用語を用いて説明をしたとき、患者が内容を理解していなくても、はいと返事をしてしまうことが少なくない。本来であれば納得できるまで質問するべきであるが、患者は忙しそうな医師の手を煩わせてはいけない、他の患者に迷惑をかけてはいけないと考え、自ら疑問を抑え込んでしまうのである。その結果、治療方針に納得できないまま進んでしまい、後に深刻なトラブルへと発展する可能性がある。また社会全体を見ても、会議や地域活動において、少数派の意見が表明されにくい状況が多く存在する。発言しても空気を読まないと評価され、孤立することを恐れて意見を控える人が増える。これが多様な解決策や新しい発想を生みにくくしているのだ。
では、この問題をどのように克服していけばよいのだろうか。まず医療の分野では、患者が安心して疑問を口にできる環境づくりが重要である。医師が質問してもよいという雰囲気を積極的に作り出し、説明の後にここまででわからないところはありますか、と必ず確認することが必要だ。また、患者が本当に理解しているかを確認するために、説明を受けた内容を患者自身の言葉で言い直してもらうリピートバック方式などを導入するのも有効である。社会全体においても、少数意見を尊重する制度や習慣を確立することが欠かせない。例えば会議の場では、発言者が安心して意見を述べられるように司会者が意識的にサポートすることや、多数決だけでなく熟議によって合意形成を目指す仕組みを取り入れることが考えられる。これにより全員一致は良いこと、という固定観念から脱却し、多様な価値観を受け入れる柔軟な社会を築くことができる。
確かに、同調によって社会に秩序が保たれ、無用な衝突を避けられるという利点は否定できない。日本社会が長い歴史の中で安定を維持してきた背景には、この同調の文化が大きな役割を果たしてきたのも事実である。しかし、その良さに依存しすぎれば、やがて停滞を招き、変化に対応できなくなる危険性をはらんでいる。社会とは沈黙を強いる場ではなく、声を交わして共に進む場である。これからの日本社会は、同調のもつ安定性を大切にしながらも、個人の意見を正直に伝え合える環境を整えていくべきである。そのとき初めて、日本人の同調は個人を消すものではなく、個人を尊重しつつ調和を実現するものへと進化していくと考える。