相対的とは
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 視覚系は、光を介して物の形を認知する。形は触ってもわかるから、視覚だけが形の担い手ではない。さらに、聴覚も形の認識にまったく無関係とはいえない。コウモリは、自分の出す超音波を利用して餌の由を捕らえ、障害物を避ける。目はたいへん有効な感覚器だが、あまりに有効なので、有効でない点に、あんがい気づかないことがある。たとえば、物の大きさがわからない。



 相対的という考え方は、私たちの生活のさまざまな場面で便利に働いている。たとえば友達とマラソンをしたとき、自分のタイムそのものは決して速くなくても、友達より速ければ「勝った」という達成感を得ることができる。逆に友達の方がもっと速ければ、悔しい気持ちを抱く一方で「次はもっと練習して頑張ろう」という向上心につながる。つまり、相対的な基準は自分の実力をただ数値として受け止めるのではなく、他者との比較を通じて喜びや反省、やる気といった感情を生み出すのだ。勉強でも同じことがいえる。テストで80点を取ったとき、それが平均点より高ければ自信につながるし、低ければ「もう少し努力しよう」という動機になる。相対的なものは、状況に応じて自分を見直し、成長するきっかけを与えてくれる便利な仕組みなのである。



 人生には、相対的な基準ではなく、絶対的なものが求められる場面も少なくない。最も身近な例が交通ルールである。赤信号では必ず止まる、制限速度を守る、といった決まりは誰にとっても例外がなく、絶対的に守らなければならない。もし「周りの車が止まっていないから自分も進もう」といった相対的な判断をしてしまえば、重大な事故を招き、命を危険にさらすことになる。スポーツや試験でも同じで、ルールや基準が絶対的に存在するからこそ公平さが保たれ、全員が安心して取り組むことができるのだ。絶対的な基準は、ときに窮屈に感じられることもあるが、それは安全や秩序を守るための支柱であり、社会生活を成り立たせる根本的な要素といえる。だからこそ、私たちは相対的な判断に流されず、絶対的な基準を尊重して行動する必要がある。

 

 確かに、相対的なものも、絶対的なものも、どちらも大切だ。一番大切なものは、自分の価値観を曲げないことだと思う。「自分を知れ」という名言があるように自分の考えや価値観を理解し、それに基づいて生きることが大切だ。