目指すところ
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  視覚系は光を介して物の形を認識する。そしてその形は物のほうにある。見なくても、触れていれば形がわかる。違う見方では、形は頭の中にある。形を見る目は脳に連絡していて、形を知るには、脳が目からの情報を再構成する必要がある。目は有効な感覚器であるために、有効でない点に気づかないことがある。例えば、存在を知らない物体が宇宙空間に浮いていたら、誰にもその寸法がわからない。その点でいうと、目では大きさの絶対値が分からないから、物差しは便利だ。それを幾何学では相似、比例といい、それが視覚系の性質だ。目の網膜は発生的に脳の延長であり、相似とは脳の一部がやっていることを脳のある部分がよく知っているということかもしれない。



 ヒトの目のように、相対的な視点は便利である。ほかの何かとの比較でとらえるものの見方は、自分の立ち位置や物の良しあしが明確にわかる。日本昔話には「猿蟹合戦」という話がある。サルは柿の種を、カニは握り飯を持っている状態で両者が出会った。サルは種を植えれば後でたくさん実が実るといって握り飯と種を交換させる。しかしカニが育てた柿の木の実を、サルが木に登り独り占めし、終いには硬い青柿を投げつけカニを殺すが、カニの子供や仲間に報復されるといったあらすじだ。握り飯は短期的に有利であるが、長期的には柿の種のほうが有利である。つまり、それら二つの価値は絶対的でなく、時間との関係によって変わっていくということだ。だから、相対的な比較は重要だ。



 絶対的な視点も時に必要となってくる。周囲のすべてはいくら似ていても自分とは違うものである。よって、どれほど比較しても自分と基準は合わない。例えば、試験の得点において学年上位である人が、そうでない人と比べたら、相対的に点数が常に高くなるだろう。しかし、それでは自分の成長具合がはかれない。つまり、比べる対象の人が勉強していないときは自分は相対的に高くなり、逆では低くなる。自分の評価が他人によって変わるのだ。確かに、学年内で自分の位置や順位を確かめておくのは大切だけれど、過去の自分と比べたり、自分の目標と比べたりと他人にとらわれない、絶対的な評価が大切である。



 周りと比べたいときや自分の順位を知りたいときには相対的な見方をすることが良いが、自分の成長を知りたいときは必ずしもその限りではない。自分の成長度合いは他人によって左右されるものでなく、他人と比較してわかるものではないからだ。それは、絶対的な一律の評価によってのみわかるものだ。だから、相対的な見方も絶対的な見方も場合に応じて使い分けることが大切である。しかし、インド独立の父として知られるモハメド・ガンディーは「目的を見つければ、方法は後からついてくる」という言葉を残している。そのように、相対的・絶対的な見方よりも、自分の目的や目標、目指すところを大切にすることが大切である。つまり、最も重要なことは他人との比較や数値を考えることではなく、自らが何を成し遂げたいかを知ることであり、それに伴って比較や数値がついてくる筈である。