大器晩成
   小5 わかば(akahime)  2025年9月1日

 「えっ。また最後?」

四年生のころ学校の帰り、私はしたくが遅く、一番最後に帰っていた。学校の下校の仕方としては最初に門に集まった20人ほどが先生と下校し、残された遅い15名が個人的に帰る方法だ。理由は、先生は生徒の安全を確認したいけれど、全員を待っていては、最初に集まった人たちも待たなくてはならなくて、可哀そうだということらしい。しかし、私はその20人になかなか入れなかった。

 

 2・3・4年生のとき、したくをせずに、友達と喋ってばかりいたら、準備ができていなくて、一番最後に教室を出ることになる。私と喋っていた友達がなぜ前から十番目くらいに帰れているのかは謎であった。しかし、今思い返してみると、私はマイペースでしたく自体もゆっくりしていたからではないかと思われる。その友達は、何も考えずに手早くランドセルに物を詰めていくから、早く帰ることができたのだ。しかし私は、ゆっくりと、色々な関係ないことを考えながら詰めていたせいで、遅くなったのだ。実際、ランドセルに入っているものは大した違いはない。それにいくら時間を無駄にするか、ということが変わってくるだけだ。昔の私は効率が悪かったのだ。変えるのが遅くなり、何回も先生に注意される。だから、改善した方がいいと思い、今年から心構えを変えた。『ゆっくりでも困らないしいいや』から、『早く帰れるように頑張るぞ!』にしたのだ。すると、心構えとはすごいもので、最近は、前から十番目には必ず入っている。うまくいったときは、一番だったこともある。こうしたい、ああしたい、と思うだけで、脳が勝手に工夫して、早く準備ができているのだ。工夫の例として、先に友達と話すのではなく、後にお楽しみを回すなどということがある。それだけで、早く帰れるようになるだろうかと実行する前の私は思っていた。しかし、それだけで、早く終わらせるぞというやる気が倍増する。だから、無意識に体が素速く動き、すぐに準備が終わる。そのおかげで、今までは、私と同じく準備が遅い子達としか下校できていなかったが、速く動くことでもっとたくさんの人と話したりすることができるようになる。早く帰る子と一緒に下校することもできるし、遅く帰る子を待って下校することだってできるのだ。一つ、二つ、工夫をするだけで、できることの選択肢が増えると、自分の頑張りが評価された気分になるからうれしい。



 母から聞いたことだが、四月・五月生まれの人は、小さいころは、ほかの子に勝っている。しかしそれは成長が速いだけで、努力しないでいると、大人になっていくときに、劣っていた二月・三月生まれの人が努力して、追い抜かれてしまうそうだ。きっと、もともとうまくできていた人は、それ以上どうしようなどとは思わないが、できないで、劣っていた人は、うまくなりたいという気持ちをばねにして、努力をする。だから、もともとできていた人を覆い越すことができるのだろう。一番とはまるでまるでご褒美のようだ。何か努力して、やり遂げないともらえないのだし、それをもらうと達成感がわく。母が言っていることは正しいと思う。実際に私はそんな経験をしたことがある。ピアノ教室でのことだ。私は二月生まれだったから、ほかの子よりも、ピアノが下手だった。でも、皆が音を上げてやめていく中で、私は、コツコツ練習をして言ったおかげで、今でもピアノを続けられている。大器晩成という四字熟語があるが、その通りだと思う。自分のものを大物というつもりはないが、成功するまでには時間がかかるというところが似ている。これからも、コツコツと努力していきたい。



 『一番』になるということは、努力の証ということが分かった。

「やったー!一番最初だ!」