私は二十年ほど前から
   中1 はななは(hananaha)  2025年9月1日

 人間は自らを飼育し、家畜化している。人間は、人間自身を飼育している。人間自身がつくった社会システムに依存して生活しているからだ。毎日、自転車などで鎖につながれていて走っている犬と、満員電車でゆられてオフィスに往復する人々の違いは、大した差異ないともいえる。飼育とは、食物を供給され、さらに生活空間や場も与えられるといってよい。人間として生活しているヒトとしては、食物のとり方は食事だけではない。これらのことをふまえて私は、自己家畜は少しは必要であると思う。その理由は二つある。



 第一の理由は、社会にそった規則正しい生活をすることも大切だからだ。学校や、習い事、塾などは時間が決まっていることが多いと思う。特に学校は一時間目から帰るまでの時間が決まっている。授業の始めや終わりは毎回チャイムが鳴るようになっている学校も多いと思う。私からしたらこのように時間が決まっていることはありがたいと思っている。なぜなら、私は時間が決まっていた方が動きやすいタイプだからである。勉強があまり好きでない私は、家庭勉強をするときはタイマーで時間を計ってやるようにしている。そのあとに少し休憩してから、また勉強する。私のように、時間が決まっている方が動きやすい人はいる。



 第二の理由は、自由にしすぎると周りに迷惑がかかってしまうからである。例えば、電車は時間が決まっている。その時間を、運転手さんが勝手に「めんどくさいからいいや」と言って変えられてしまっては困る。電車やバスなどの、公共の場では自分勝手に動かれてしまうと、迷惑がかかるのだ。公共の場を言わずとも、授業の中で話し合いになったときに、一人だけ他のことをしていたり、話を無視していると話しあっている人たちに迷惑がかかる。私も過去に似たようなことがあった。その班には、あまり話すことが得意ではない子がいた。それでも、少しは話してほしかった。しかし、話し合いに参加しようともせず教科書をいじっていたのである。そのときはとてもイライラした。せめて話し合いに参加する気持ちを示してほしかった。



 確かに、自由にすることは大切であると思う。すべて縛られていては窮屈だ。しかし、「自由とは、自分の欲望のままに生きることではなく、自らに課した法に従って生きることだ。」というイマヌエル・カントの名言があるように、規則は大切である。社会にそった規則正しい生活をすることで、周りの人たちに迷惑をかける可能性が減る。自分勝手に自由に動いてしまっていては迷惑だ。このようなことがないように規則にそった生活が大切なのだ。規則に従って動く力がないと、学校や塾でも迷惑がかかってしまうかもしれない。決められた時間に動くことを心がけることも成長の第一歩だと思う。だから私は、これからも規則正しい生活を心がけるようにしたいが、意識しすぎても窮屈になってしまう可能性があるからそこの限度は大切にしたいと思う。