地球の一員
   中3 あおさみ(aosami)  2025年9月1日

身で森と対話した時、初めて森は私を受け入れてくれる。多様な木々、草花、虫たち、動物たち、風、匂い、光などすべてが深く関わり合って、それぞれの役割をにないながら、ともに一つの生命のシンフォニーを奏でている。もし森が奏でるシンフォニーを聴きたいなら、その森の一員として、隅っこにでも加えてもらわなければならない。

 私は地球の一員であるという自覚を持って生きていきたい。



 その方法として第一に、すべてのものが支え合って生きていることに気づくことだ。「ダーウィンが来た」という番組を観ることが幼い頃の楽しみのひとつだった。紹介される動植物に胸を高鳴らせながらクッションを用意する。なぜなら、動物の死体を見るかもしれないからだ。血が流れ、骨が剥き出しになっている姿は衝撃的で、できるだけ見たくなかったのだ。

 サバンナの回でシマウマがライオンに襲われるのをみて、ライオンが嫌いになり、シマウマを食べる姿が怖かったのを覚えている。

 そんなある日、ライオンの特集を観た。画面の中のライオンは、想像していた「百獣の王」の姿と違い、飢えと闘いながら獲物を追いかけ野原を走り回りまわっていた。獲物を捕まえてもまず子供に食べさせる優しい一面もあった。また乾季は特に獲物となる動物の個数が減るため、何日間も食料を口にしないこともあるという。その姿をみて、ライオンも生きるために必死なんだと思った。

 ライオンが草食動物を捕食し、時にライオン同士の争いや飢えで命を落とすことで、食物連鎖が成り立ち、生態系が保たれているのだ。

 人も同じで、私たちが洋服を着れるのも、ご飯を食べれるのも、私たちを支えてくれている人たちがいるからだ。そしてまた私たちがその人たちから商品を買うことでその人たちの暮らしを支えている。このように、私たちは皆互いに支え合い生きている。輪っかのようにつながっていて、循環している。だからその輪っかを崩すようなことがあってはならないのだ。



 その方法として第二に、地球もひとつの命として大切に守ろうとすることだ。

私の住む霧島は、活火山や連山などがある自然豊かな場所だ。そこに毎年のように訪れる山がある。原っぱでご飯を食べた後は芝生で眠ったり、散策したりする。私はひとりでその場を離れ、森の中で目を閉じて深呼吸をするのが好きだ。ふかふかの土は雲のようで、標高の高い場所にいると、いつもいる下界から天へ昇った気持ちになる。

今の世界には解決すべき問題が多くあり、環境保護活動に本腰を入れることが難しくなっている。発電所や自動車などからは日々排気ガスが絶えず出ており、地球全体を巻きこんだ長期的なアクションを起こすのは簡単ではない。それでも、ひとりひとりが地球を守ろうという意識を持てば、現状は変えられるはずだ。

 英ダービー大学(University of Derby)によると、「人と自然とのつながり」は過去200年で約61%も失われているそうだ。その記事では、理由の一つに「親の自然とのつながりが弱ければ、その子どもも自然に親しみにくくなる」ことがあると述べられている。

だからこそ、幼いころから自然とのつながりを大切にすることが必要だと思う。都市化が進むなかでも植樹運動やゴミ拾いといった活動は自然とのつながりをもつきっかけになるだろう。

 世代という大きな集団の意識を変えていくことで、それぞれの行動が、大きな変化となることを信じている。幼いころからの「継続的な自然体験」が、自発的なアクションになる。自然の価値を次世代にも伝えていくために、私たち一人ひとりが現実を受け止め、できる範囲で自然との関わりを深めていくことが緑豊かな未来へゆく第一歩になると考える。



 確かに、快適で便利な暮らしには開発することも大切だ。

しかし、私たちの源である地球はひとつの命である。地球を守らなければ、私たちの未来も失うことになる。「未来を予測する最も確実な方法は未来を創造することである」という言葉があるように、未来の鍵を握るのは私たち人間だ。省エネや倹約など、この瞬間から起こせるアクションはたくさんある。地球の一員として全員が責任を持って行動できるとよい。地球は人間のように、絶えず息をし、一生を終える。地球が安らかな気持ちで一生を終えられることを願う。