相対と絶対のバランス
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 視覚系は、光を介して物の形を認知する。形は触ってもわかるから、視覚だけが形の担い手ではない。ライオンがネズミの大きさに見えたところで、ライオンはライオンである。脳の一部が、やっていることを、脳のどこかの部分がよく知っているということかもしれない。

確かに、相対的ということは、私たちに乗って便利だ。相対的とは、物事を他のものと比べて価値や意味を見いだす考え方である。これは私たちが普段の生活で自然に行っている判断方法だ。たとえば「百万円」と聞いても、それが大きいのか小さいのかは人によって感じ方が異なる。しかし「東京で一人暮らしをするには少ない」と説明されると、具体的な生活の場面が想像できる。同じ金額でも「中学生にとっては非常に大きなお金だ」と言えば、その価値は一気に大きく感じられるだろう。学力でも同じことが言える。「テストで80点を取った」とだけ言われても、それが良いのか悪いのか判断しにくい。けれども「クラス平均が70点だから高い」と聞けば、その点数の価値がはっきりする。また、部活動の成績にしても「100メートルを12秒で走れる」という数字だけでは印象が薄いが、「同学年の平均より速い」と説明すれば、その速さが具体的に伝わる。このように、相対的な考え方は比較によって物事の意味を鮮明にし、私たちに理解のしやすさを与えてくれる。だからこそ、日常生活では欠かすことのできない考え方だと言える。

しかし、人生には絶対的な考え方が必要な時がある。絶対的とは、他と比べる必要がなく、それ自体として存在する基準や事実のことである。例えば交通ルールがそうだ。「赤信号では必ず止まる」という決まりは、他人と比べて決めるものではなく、すべての人に共通して守られるべき絶対的な基準である。もしこれを相対的に「他の車が止まっているから自分も止まる」と考えてしまえば、誰も止まらない状況では大事故につながってしまう。また、人の命の価値も絶対的なものだ。命は誰かと比べて重いとか軽いとかいうものではなく、すべての命が平等に尊重されなければならない。さらに、社会に出るときに求められる資格や学歴も、ある意味で絶対的な基準といえる。誰かより優れているかどうかではなく、一定の条件を満たしているかどうかが問われるのだ。こうした絶対的な考え方があるからこそ、社会の秩序や人間の尊厳は守られているのである。

このように、相対的な考え方があるから私たちは物事をわかりやすく捉えることができ、他人との位置関係を知ることで努力の方向を定められる。一方で絶対的な考え方があるからこそ、揺るぎない基準に基づいて社会が安定し、人の命や権利が守られるのである。だから大切なのは、この二つの考え方をうまく使い分けることだ。相対的な視点ばかりに偏れば、常に他人と比べて一喜一憂することになり、自分自身を見失ってしまうかもしれない。逆に絶対的な視点だけに固執すれば、柔軟性を欠き、周囲と調和できなくなるだろう。両者のバランスをとるためには、自分の価値を信じつつ他人の立場も尊重する姿勢が必要だ。確かに、相対的な考え方も、絶対的な考え方も大切だ。しかし、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「幸福は両極の間にある調和の中に見いだせる」と述べたように、この二つの考え方をバランスよく持つことだ。相対的と絶対的という二つの極の間にこそ、私たちが社会の中でよりよく生きる道があるのだと、私は考える。