情報と知識
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 情報は意外なほど価値が高いという意外性を命としている。そして意外性というのは一回限りのもので、反復され得ず蓄積され得ない。これに対して知識は反復され、記憶され、蓄積されていくものだ。さらに、情報は事柄の不確実性を減らすための道具であるのに対し知識はそれ自体が求められる、道具以上のものだと言える。これから出生以来パソコンと共に育った人たちが増えていくが、彼らは情報には詳しいがものを考えない人種になっていってしまうかもしれない。私たちは知識を作り出す方法も身につけるべきだ。

 第一の方法は、自分たちで考える習慣も身につけることだ。大体の問題はインターネットで調べれば答えに辿り着くことは容易である。しかしわからない壁に当たった時にすぐに調べて、ヒットした情報を自分の頭に取り込んでいくのもテスト前日の詰め込みでは有効かもしれないが、普段の生活では問題に当たったら自分の持っている知識をつなげ合わせ、推測し、発展させて自分なりの答えを得るということは思考力や柔軟性をつける上で大切だ。中学数学では平面図形や関数といった分野において、出題される問の型はある程度決まっている。そして私はそれらをほとんど全て暗記してテストに臨んでいた。問題を見たらパッと解法が思い浮かぶようになり、そのまま入試まで乗り越えた。しかし、高校数学では公式や定理などそもそもの暗記必須事項が多く、いちいち問題の型までとても覚えきれない。よって私も場面場面において柔軟に考え思考していく力を身につけていきたい。

 第二の方法は、学校の授業で探究の授業を取り入れてくことだ。材料となる必要最低限の情報を与え、それらをもとにして問いについて考えたり、ある文章を読んでグループでそれについての意見を出し合って解釈を深めていったりである。私も高校では時間に比較的余裕のある授業ではグループワークが結構多く取り入れられている。一人では答えに辿り着く糸口が見えなかったり、情報不足だったりしても数人で議論しながら考えることで新たな視点を発見できたり互いに支えながら核心に近づいていくことができるようになる。こういった授業は思考力を養うのはもちろん、他の人の意見や思考を自分のものにすることもできるので良いと思う。

 確かに情報を多く持っていることは大切だ。情報格差という言葉があったりお金を払ってニュースを見たりしているように情報はそれ自体が価値である。しかし、情報はあくまで世の中で起きていることをキャプチャーしているだけで、新たなことを想像したり、発見するには考えることが必要である。人間は脳を使うことによって繁栄してきた。我々も知識を新たに生み出していく力を得ていくのは大切だろう。