文化とは
   小6 あおやゆ(aoyayu)  2025年9月2日

  噴水は飲めない水である。浴びることのできない水である。言ってみれば、何の役にも立たないものだ。ただし夏の日照りが続き、恒例の水不足になると都市によっては噴水の水を停めてしまうところがある。噴水の水はただそこを循環しているだけである。だから、どんなに水不足の場合でも停める必要はない。停めたって水不足を補うことにはならないのだ。噴水はただ水を噴き上げていればいいのである。 つまり噴水の水は役に立たず実用的ではないけれど、そこで噴き上げているだけで人々の心が和み存在意義があるということだ。文化とはこの噴水と同じように「実用的ではないけれどそこにあるだけで心を満たしてくれるもののこと」なのではないだろうか。





私は学校で茶道について学んだ。茶道は生活する上でどうしても必要ではないものだ。しかし、「おもてなしの精神」「わびさび」などの美しい精神を体現するものであり、古くから日本文化として栄えてきた。鎌倉時代に中国の僧に持ち込まれた茶は当初、心身を鍛えるための修行に用いられた。そして村田珠光によって「わび茶」が創始される。わび茶とは質素な茶室や茶道具を使い精神性を重んじるものである。ではなぜ、茶道をやったところで戦に強くなるわけでもないのになぜ茶道が重んじられたのか。私は、武士には明日死ぬかもしれない中で戦っているのもしんどいので少しでも精神性のあるものをやろうと茶道を行ったのではないかと思う。戦国時代の織田信長や豊臣秀吉、徳川家康も茶道や日本文化を大切にしていたというのだから文化とはなくてはならないものなのだろう。





私の友達は日本舞踊を習っている。日本舞踊とは身振り、手の仕草、表情そして美しい衣装や小道具を用いて登場人物の心情を表現する日本古来の文化の一つだ。厳格な型や所作に従いながらも個々の個性や独特の表現などで物語を豊かに表すもので、演者の身体表現を通し、人に伝えるという難しいものである。しかし、これも実用的ではなく心を満たすものだ。けれど昔からいつの時代にもファンがいてずっと続いているということは人の心を掴む「何か」があったということだ。文化は平和な時代には国風文化が栄えるが、戦争時には文化が栄えていないため平和あってこその文化なのだなと思った。

人間にとって文化とは心を満たすものである。俳句や川柳などの日本独自の文化を大切にしていきたい。