役に立たないものの力
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 噴水は飲めず浴びられない水で、ただ循環しているだけで何の役にも立たない。しかし、それが文化的衝撃を生む。都市住民はすべてが役立つ環境に慣れているため、突如として役に立たないものが現れると困惑し、新しい文化を生み出す。この長文を読んで一番印象に残ったのは噴水は一見何の役にも立っていないように見えるけれど人々にとってとても大切な物だと感じられるところだ。

僕の家の中にも、役に立たないものは存在する。例えば居間に置かれた小さなだるまだ。そのだるまは、勉強に直接役立つわけでも、部屋を片付ける力をくれるわけでもない。勉強ができるようになるわけでも、創造力が上がるわけでもない。しかし、だるまを見ると、心が少し落ち着き、今日も頑張ろうという気持ちがわいてくる。宿題やテストの準備で疲れたとき、目の端にだるまが見えるだけで、ほんの少し安心できるのだ。色や形の細かいところまで注意を向けると、だるまの表情や微妙な表面の凹凸に気づき、自然と気持ちが穏やかになる。実用性がなくても、見るだけで心を支えてくれるという意味で、だるまは僕にとってかけがえのない存在である。

 だるまのように実用性がないものは、便利さや効率では測れない価値を持っていることがよくわかる。さらに、実用性がないものは人との関係を豊かにする力もある。だるまのような実用性がないものについて話すだけで、自然に会話が生まれる。学校でも、友達とちょっと変わった文房具や遊びの話をすると、笑ったり意見を交換したりして、クラスの雰囲気が明るくなる。つまり、役に立たないものは、物としての価値だけでなく、人々の気持ちや関係に大きな影響を与えるのだ。

 都市の噴水やコインの投入口のない自動販売機、家のだるまのような「役に立たないもの」は、日常にちょっとした変化や喜びをもたらす。便利さや効率だけで生活を考えると、毎日は味気なくなるが、こうしたものがあることで心はやわらぎ、人と人のつながりも生まれるのではないだろうか。さらに、戸惑いや不便さの中から、新しい文化や楽しさが芽生えることもある。例えば、噴水の周りで人々がぼんやりしたり、友達と笑い合ったりする光景は、そこにしかない小さな文化だと言える。役に立たないものは、見た目は無駄でも、生活を豊かにする力を持っているのだ。

 人間にとって、役に立たないものとは、心を豊かにし、人や文化をつなぐ力を持った大切な存在である。無用の用ということわざがあるように、小さなだるま一つでも、心を落ち着け、家族との会話を生み、日常に少しの喜びを与えてくれる。それは便利さや効率だけでは決して得られないものである。だから、僕はこれからも、「役に立たないけれど、あるとなんとなくいいもの」を大切にしていきたいと思う。そして、たとえ一見無駄に見えるものでも、それがもたらす心のゆとりや、人とのつながりを意識しながら生活していくことが、自分の毎日をより豊かにしてくれると感じるのだ。