人間の家畜化
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 人間の家畜化



あかえか



 人間は、人間自身を飼育しているのではないか。ヒトを生物の一種とみなした場合、人間自身が作った社会システムに依存して暮らしている点からだ。人間は自らを自らで飼育し、馴化している。一般には、これは否定的で比喩的にしかとらえられない。では、飼育というのをどうとらえるのかと問われれば、動物にとっては食物を供給されることから始まる。ヒトは社会システムに参加することで、社会的に食物を供給されている。社会的に飼育されているともいえる。自己家畜化が、特殊な条件下で自己ペット化に至ったものといえよう。事自己ペット化は、自己家畜化の管理、保護塗装人工化が進んだ現代的な先進国での特殊な状態だとみなせる。



 多少の自己家畜化は必要だ。



 その理由は第一に、規則正しい生活をすることで健康に過ごすことができると思うからだ。例えば、私は学校の宿題が終わらなかったので深夜まで起きて終わらせ、次の日の学校に遅刻しそうになったことがあるからだ。いつも、学校の授業は先生には悪いなと思いながらもあくびをしながら聞いているが、その日は寝不足だったのでいつもとは別の意味で授業一時間につき何十回もの割合であくびをしながら聞いていた。授業が終わってからも、睡眠時間が足りなかったので頭がぼんやりとしていて、家に帰ってからもやる気が出なかったという経験があるからだ。



 多少の自己家畜化は必要だと思う第二の理由は、みんなが自由気ままに毎日を過ごしていたら不平等になるからだ。例えば、もし、ある会社が出勤時間や労働している時間が全く違うのに、その人たち全員に同じ給料を渡すという事態が起こってしまうと思うからだ。そうなると、人々の生活のために一生懸命働いてくれている人たちが損をすることになると思う。そして、その事態が悪化すると社会のために働く人が、国の中でも数えられるほど少なくなってしまい、国や、国民の生活などが成り立たなくなってしまうと思う。



 確かに、人間には、何にも縛られないで活動する時間が必要だ。しかし、「いかに飽きずに続けるかではなく、飽きることと続けることとをいかに両立させるかということが大切だ。」という名言があるように、自由な、自分がやりたいことだけをする時間だけではなく、今しなければならないことや仕事などをするという、ある程度の自己家畜化をすることも大切なのだ。