言葉に頼らないコミュニケーション
   中2 あけみお(akemio)  2025年9月2日

 花見にケンカはつきものである。花見には、町内や職域といった小共同体の仲間が、つれだって出かけることが多い。桜の花は、日本民族のシンボルとして、大共同体意識の中核に置かれたが、現実の花見はついにそこまで至っていない。日本の劇場がザワザワとしているのは、西洋の観劇エチケットからすれば、たいへん無作法なことかもしれぬが、それはそれで、ちゃんと機能を持っているのである。花見が最も庶民的なマス・レジャーであるのも故なしとしない。日本文化に根ざした言葉以外の伝え方は魅力的であると私は思う。そう考えた理由を二つ述べる。



 一つ目の理由は、誰であっても同じものを見れば同じように理解できるからだ。この間、大雨が降った。学校から帰る直前、急にぴたりと大雨が止んだ。校門を出ると空一面に虹がかかっていて驚いた。私は友達に「わぁ、きれいだね!」と言った。友達も「ほんとだ!大きいねぇ。」と笑顔で答えた。二人でしばらく見上げていると、不思議と心が明るくなっていくのを感じた。そのとき、私だけではなく友達も同じ気持ちでいることに気づき、とても嬉しかった。虹は、歳や性別に関係なく、誰が見ても同じように感動できる、自然の中の素敵なものだと思った。



 二つ目の理由は、言葉に出さないコミュニケーションによって、相手を大切に思う気持ちが生まれるからだ。私は吹奏楽部に所属している。この前の夏休みの部活で私は、曲が吹ける状態までいかずに合奏に出てしまった。合奏していると先生は、「一人ずつ吹いてこう。」と言い出し、私は覚悟を決め、吹き始めた。吹いていくと自分でも驚くほど、吹けていなかった。そんな私を、部員のみんなは温かい目で見守ってくれていた。普段はとてもふざけていて、よく分からない人だらけの部員なのに、私が吹いている時は、とても優しい心で見守ってくれて、私も安心して吹くことができた。これからも、部員全員を大切に思っていきたいと思った。この経験で私は、言葉に出さないコミュニケーションでも相手を大切に思うことができるのだと思った。



 確かに、言葉ではっきり自分の意見を言う方が誤解が生じにくい。しかし、日本には言葉以外に気持ちを伝える方法がある。例えば、「沈黙の一礼が、千の言葉より深く語る」という名言があるように、お辞儀は言葉を使わずに感謝や敬意を伝える、日本文化ならではの美しい表現だと思う。これから私は、言葉だけに頼るのではなく、行動や態度でも気持ちを伝えられるようになりたい。例えば、友達が落ち込んでいる時には優しく声をかけたり、一緒に行動して支えたりしたい。家族に感謝を伝える時も、「ありがとう」と言うだけでなく、手伝いや態度で示すことが大切だと思う。そうすることで、相手に気持ちがもっとはっきり伝わり、信頼も深まるはずだ。私はこれから、行動で思いやりを表し、周りの人とより良い関係を作っていきたい。