日本人の「見る」こと
中1 すりりんご(akimano)
2025年9月2日
日本人は月見、雪見…と「見る」ことに重要な意味がある。日本人の社交の基本は見ることで成立する。「自分の目で見て確かめる」、実証主義なのだ。「総見」も演技の所作をみんなで一緒に見るということが意味である。見るという動作が日本文化のコミュニケーション方法なのである。言葉にならない、日本的なコミュニケーションのとりかたは良い。
第一の理由は、同じ感動を分かち合え、気持ちが通じるからだ。今年、祖父母の家で花火を見た。花火は、近くで開催されている夏祭りのフィナーレを飾るというものだった。煙火筒がある場所は、家からも見えるほどだったから、二階で母と祖父の妹と私で見た。この夏祭りの花火は、二年前に見たことがある。その時は、避難タワーで花火を見た。祖母に一番見える場所はどこか聞くと、避難タワーが良く見える、と教えてくれたのでみんなで見に行ったのだ。避難タワーについて座ったところで雨がざあーと降ってき始めた。これは花火は上がらないな、と思っていたが少し経ったら雨はやみ、花火の時間は遅れたが全ての形を見ることが出来た。今年は、お天気にめぐまれ、まっ黒の空に花が散る様子を見られた。予定時間では、十分間あがることになっていたが、実際はその二倍、に十分間あった。私が思うに、今年の花火はどっきりが多いなあと思った。まず、時間に驚いた。一番驚いたことは、母と私が同じことを考えていたことである。それは、母と私が好きな花火のフィナーレのことだ。花火は、連続であがり有終の美を飾る。そして、私と母が同じことを考えていたことに驚いた。母と花火を見ているうちに、なぜかフィナーレの話になっていた。母とまだか、まだか、と話すことは日本独特のコミュニケーション術だと思う。
第二の理由は、見ることで、言葉以上の思いやりが出来るからだ。私は、自分の意見・発表がなかなか言えない人である。授業の発表の時などは、腰あたりまで手はあがるが、頭の上まではあがらない。そんな時に助けてくれるのが友達だ。友達は、私の行動を見て、行動してくれる。また、人とは、見ることで共感できる一面がある。それは、同じものを見るときや物事をする時だ。なぜ、そんな場面で共感できるのか。それは、相手も自分も同じく、相手の方を大事にしているからだと思う。
確かに、言葉ではっきり意見を言う方が誤解が生じにくい。しかし、トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われるときであるという名言があるように、言葉だけではない、日本特有のコミュニケーション術を上手に使い、日本人らしいコミュニケーションをしていったらどうだろうか。日本的なコミュニケーションのとりかたは、良いと思う。