視覚系は(感)
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視覚系は、光を介してものの形を認知する。形は触ってもわかるから、視覚だけが形の担い手ではない。さらに聴覚も形の認識に全く無関係とはいえない。ところで形はどこにあるのだろうか。見なくても、触ってみればある程度の形がわかる。それはものが本来形を持つからである。もう一つの見方では、形は頭の中にある。目がなかったら、ものは見えない。その目は脳に連絡している。この二つのどちらが正しいか。実は質問が悪い。目は大変有効な感覚器だが、あまりに有効なので、有効でない点、案外気づかないことがある。例えばものの形がわからない。視覚系だけに任せておくと、大きさの絶対値がわからない。それを幾何学に持ち込むと、比例あるいは相似になる。視覚系は、その中に絶対座標を持ち込むようには進化してこなかった。
相手と比べる相対的な見方は大切だ。客観的に見ることで自分はどのような立ち位置にいるのかが正確に把握できる。自分が見たら満足かもしれないけれど他人から見たら当たり前に過ぎないことがある。学校のテストが典型的な例だろう。夏休みが明けてすぐに前期期末テストが始まった。このテストは前期の内申に大きく関わるので夏休み中たくさん勉強した。つい先日テストの結果が帰ってきた。自分の点数は思っていたよりかは悪くなかったしそれ以上に満足だった。このときまでは自分はクラスの中で上位の点数だと感じていた。しかし現実は甘くなかった。自分が勝ったと確信していた友達に点数を聞くと出鼻をくじかれた。自分の点数より遙かに勝っていた。僕は自分の結果しか見ていなかったのでクラスで上位の方だと思っていたが、しかを広くして見てみると、大して高い点数ではなかった。自分の点数だけ見ていたら自己満足に陥るところだった。これから自己満足せずさらなる高みを目指したい。
相手の言動や行動に左右されない絶対的な見方も大切だ。主観的に見ることで周りに影響されず自分の決めた目標にまっしぐらに進んでいくことで相手より1歩2歩先へ進める。それがどれだけ否定や批判されてもくじけずまっすぐ進むとその先は成長か学びしかないと思う。代表的な例は大谷翔平選手だ。彼は高校時代に投手と打者で一流になる。「二刀流」を目標に掲げた。当時に二刀流は前例を見ない新たな選手で周りの選手や監督、引退したレジェンドが口をそろえて反対した。しかし翔平はくじけずに一歩一歩地道に進むことで今では日本人の誰もが知っている存在になった。日本人どころかアメリカの野球ファンだったらおそらく知っているだろう。そのぐらい偉大な唯一無二の存在なのだ。自分の信念を貫き通すことで成長ができると僕は学んだ
確かに人と比較する相対的な見方や自分の意志を貫き通す絶対的な見方もあるが最も大切なことは「始めることは大切だが、やり遂げることの方が、もっと大切である」という言葉があるように、成長することだ。自分と他人を見比べて成長していく人もいれば、自分の絶対的な意思を持って突き進む人もいる。僕は前者だと思う。方法は何がともあれ成長するばいい。