日本対イギリス
()
年月日
日本人は、犬、猫そして馬のような家畜を人間の完全な支配下に位置するもの、人間に従属する存在とは見なしていない。一方イギリス人は家畜とは人間が完全に支配すべき、それ自身は自律性を持たない存在と考えている。犬は人間が人間のために利用する従属的な存在であるから、逆に一切面倒を見る責任が人間にある。なので、日本では犬が捨てられると言って、犬のために悲しむイギリスの夫人も、大正エビは生きたまま熱湯に投げ込んで料理をするのが一番良いと言って平然としている。また食べるだけでなく、楽しむために魚を釣るのも残酷ではないのだ。大きなカジキマグロと何時間も海の上で全力を尽くして戦うことはスポーツなのであって、魚が苦しむだろうと考えていないのも同じ理由である。
僕が前にペットを飼っていた時、僕はその犬を人間の従属ではなく、家族の一員詳しく言うとお兄ちゃんのように思っていた。僕の家にいた犬の名前はエースだ。エースというのは僕の家で飼っている黒と白の小型犬だ。なぜ家族のように思っていたかと言うと、僕の場合は、生まれた時からずっとエースがいたからだ。
最初の話に戻るけど、もし僕が犬だったら、日本人の方が良い。理由は、完全に人間の従属よりも、フレンドリーで、友達や家族として扱ってくれる方が嬉しいからだ。だが、捨て犬捨て猫が日本に多いのは事実だから、その視点から見るとイギリスの方が良い。でも僕はやっぱり日本の方が良い。だって、実際に会った話で、日本の調査隊の人たちがもう生きられないと思っていた樺太犬を南極に置いてきて、また一年後に行ったら生きていたのだ。さらに、イギリスの人たちは置いてきて孤独に死ぬのは可哀そうだから注射をして安楽死させるべきだと言っていたらしい。もしイギリスの人たちの方法でやっていたら、樺太犬たちは、凄く寿命が縮まることになっていたからだ。もし僕がその樺太犬だったら、苦しくてもいいから、一年でも長生きをしたいからだ。
僕は先ほども書いたけど、注射で犬を安楽死させることはできない。なぜなら、人間と犬の対馬は対等だし、安楽死させるかは人間が決めることではなく、乾信が決めることだからだ。僕はイギリス人に問いたい本当にその時に樺太犬たちは安楽死させてほしいと思っていたと思うのかを。