何ごとぞ花見る人の長刀
中1 こうき(aoseo)
2025年9月2日
9月2週
何ごとぞ花見る人の長刀(感)
岡田航輝
花見とならんで、月見と雪見。この三つが日本人の自然観賞の基本になっているが、月・雪・花、そのいずれもがうつろいやすいものという共通点がある。月はいつも満月ではありえないし、雪はいつかとけて消え去る。花の生命は短い。満開だと思っていたら、一夜の雨風ですぐ散ってしまう。そうだからこそ、うつろいやすいものを惜しむ心が、時候に合わした会合の珍しさをとうとぶのだ。日本では、言葉でなく、物理的対象物をともに見ることで、社交が成り立つのだ。そう考えてくると、月見、花見、雪見といった集団的な観賞行為は、じつは、日本文化のなかでのコミュニケーションの方法でもある、といわなければならない。
僕は、言葉に頼らないコミュニケーションはいいと思う。僕がそう思っている一つ目の理由は、理解し合うのは、言葉に頼らずともできることがあるから。
映画を見に行ったときなどは、怖い、感動、喜び、悲しみなどの感情を分かち合うことができる。僕は小学生の時に、家族と鬼滅の刃の無限列車編を見に行った。なぜ行ったのかというと、その時期はやっていたというのと、僕の一番の鬼滅の推しキャラが煉獄さんだったからだ。その時にお父さんは寝てしまっていたけれど、お母さんと弟には僕が感動していることなどが伝わったらしく、同じことを体験したら、気持ちをわかってもらえるんだな、と思った。
僕が言葉に頼らないコミュニケーションはいいと思っている、二つ目の理由は、コミュニケーションの取り方によって印象が変わったりもするからだ。
僕は、言葉を使えば何でも伝わる、という意見もわかる。なぜなら、「嫌い」をはっきり言ってしまっても相手にはきちんと伝わるからだ。しかし、その場合には多少トゲトゲした言い方に感じられてしまうことが多いと思う。だから、もっと雰囲気を和らげるために言葉だけでなく、雰囲気でも受け取ったほうがいいと思った。しかも、日本人は言葉を発しなくても、一緒にいると相手の感情をなんとなく理解することができる。例えば、嫌われているとしたら、相手にそのまま言われてももちろん伝わるだろうが、声をかけたときの反応や話し方、態度で「ああ、この人からは嫌われているんだな」と感じ取ることができる。だから、実際に「嫌い」とは言わずに、雰囲気で伝えたほうが良い、と思う。
僕は、これから何かを伝えるときに、きつい言い方にならないように雰囲気で伝えることも大事なんだな、と思った。