人が伝える情報の意義
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知識の生産過程が、人の主観的内面世界での思索にかかわる二重性は、情報にない。情報は具体的な真実の伝達で、瞬間的に、不確実な事柄の不確実性を減らすために求められるものである。私たちは、本当の知識を作り出す方法を見つけるべきだ。
そのための方法として、第一に情報を過信せず、自分で考える習慣を身につけることが大切だ。しかし、今のネット社会においては、情報の質や演出のレベルも確実に上がってきている。例えば、インパクトのある記事や、あるいは人間としての本能を刺激することで信用させるような動画の作り方などが挙げられる。その結果、普段から知らないうちに信じていたことが、実はそれっぽく書かれただけのフェイク情報である可能性が高まっているのだ。では、このような大量の情報から、どのように真実を見つけ出すべきなのだろうか。それは、まずは疑ってみることが重要だと考える。なぜなら、初めから「この記事は嘘を書いているかもしれない」という視点で読むことで、冷静に自分の意見と照らし合わせて判断できるからである。さらに、そのような記事を見つけたら、ほかの人に共有するのもよい方法だ。なぜなら、自分の意見をアウトプットすることで、その考えが客観的に正しいのかを確かめられ、同時に自分が考えるための軸が出来上がるからである。そして、この軸こそが、情報をいかに素早く、かつ丁寧に判断できるかという鍵になる。すなわち、大量の情報の中から真実を取り出すためには、軸となる自分の考えを作り上げていくことが重要なのだ。実際に、僕も嘘の情報を鵜呑みにしてしまった経験がある。具体的には、フォートナイトというバトルロイヤルゲームにおいて、大会のように競える特別な機能が戻るという話がXのポストで流れてきた。そして、僕を含め、このゲームをしている人たちはずっと待ち望んでいたため、こぞって喜びの言葉を書き込んでいた。しかしながら、公式には何も発表されず、結局は実現しなかった。このように、確かめずに信じると落胆だけが残るのだ。
第二に、情報化社会に対応し。格差を生まないように情報をうまく使いこなせる人材を作っていくことだ。なぜなら、情報そのものはAIによっても整理され、瞬時に拡散することができるからである。しかし、AIの伝える情報は、あくまでデータを並べ替えた結果にすぎず、受け手の心を大きく揺さぶる力には限界がある。一方で、人が伝える言葉や表現には、その人自身の経験や感情がにじみ出る。したがって、情報はただの事実にとどまらず、人の思いを媒介することで、他者を動かす力を持つのである。
例えば、東日本大震災のときに広まった釜石の奇跡と呼ばれることが起こった。岩手県釜石市の小中学生約3000人は、日頃からの防災教育に基づき、先生の指示を待たずに自ら高台へ避難し、多くの命が救われた。この出来事が広く伝えられたとき、人々は防災教育の重要性を知識として理解しただけでなく、子どもたちが勇気をもって行動したという物語に強く心を打たれた。もしこれが単なる数字や避難率の統計だけで示されていたなら、ここまで大きな共感は生まれなかっただろう。つまり、事実を超えて感情を伴った情報の伝達こそが、社会に新たな行動を促すのである。このように、情報化社会の中で本当に価値を持つのは、単なる伝達ではなく、人を感動させる、次の行動へとつなげる情報である。だからこそ、私たちは膨大な情報をただ受け取るのではなく、それを自らの経験や考えと結びつけ、他者に伝える力を磨く必要がある。そして、その過程でこそ、私たちは本当の知識を作り出す方法を身につけることができるのだ。
確かに、情報化社会に対応し、格差を生まないように情報を得ることも大切だ。しかし、「情報は疑うことで確かさを得て、人が伝えることで心を動かし、知識に変えることで未来をつくる」というように、情報に惑わされずに、しっかり自分なりに取り出して活用することのできる立場になるべきなのではないか。