判断と協調
中2 すみひな(sumihina)
2025年9月2日
「人は一日に数千から数万もの決断をしている」といわれているのを知っているだろうか。人間は本来、自分で判断し、行動することが当然であり、社会生活を送るうえで欠かせない。しかし現実には、他人や集団に依存してしまうことが多くある。大人であっても、自らの判断で動くよりも、周囲に合わせたり指示に従ったりするほうが楽だと感じることが多いのだ。周囲に合わせた方が、もし間違ったことをしてしまっても、連帯責任により、責められるのは自分一人でなくても済むのだ。最近では、特に子どもや若者において「指示待ち」の傾向が強まり、自分で判断する力が育ちにくくなっているらしい。だからこそ、自分で決断し、判断する訓練を今のうちから行っていった方が良いのではないだろうか。
私は人任せにせず、自分で決めた方が、後から不満を感じにくいと思う。なぜなら、誰かに決めてもらった選択肢は、そのときは楽であっても、後から「本当はこうしたかったのに」と思うことが多い。一方で、自分で選んだことなら、たとえ失敗したとしても納得できる場合が多い。なぜなら、その結果は自分の責任であり、他人のせいにすることができないからだ。先日、私は英語の授業でチーム対抗の運任せのゲームをした。チームのリーダーが、いくつかの点数がついたボタンの中から一つのボタンを選び、その点数を競うゲーム。リーダーが一番低い点数のボタンを引いてしまうと、その人を責めたい気持ちになってしまう。しかし、もし自分が引いて同じ結果になったとしたら、『仕方がない』と思えて責められないのだ。日常の小さな選択でも「自分で決めた」という意識があると、後悔せずに前向きに取り組むことができる。
一方で、自分の考えばかりを優先すると、仲間とのバランスが崩れてしまうだろう。社会生活は一人で成り立つものではなく、他人との関わりの中で営まれている。そのため、ときには流れに身を任せることも大切だと思う。たとえば、災害時の避難行動では「自分は大丈夫だ」と判断して動かない人よりも、周囲の人々の指示や集団の流れに従った人のほうが安全に避難できることがある。意見を持ちながらも、必要に応じて集団に合わせることは、社会を円滑に動かすうえで欠かせない。
確かに、自分で物事を決めることも、周りに合わせながら円滑に物事を進めていくことも大事だが、一番大切なのは最終的に「自分で選んだ道に責任をもつ」ことだと思う。人に任せた選択でも、自分で選んだ選択でも、結果は必ず自分に返ってくる。そのときに他人のせいにせず、「自分がこう選んだのだから」と受け止められることが、成長につながるのではないだろうか。私たちの社会は、個人の判断と責任の積み重ねで成り立っている。この社会を持続するためにも、私は今後、どんな小さな場面でも、自分の選択に誇りと責任を持ち、後悔しない生き方をしていきたい。だが、一つも後悔しないで生きていくのは難しいかもしれない(笑)