ガイアを感じる
   中3 みさと(aetami)  2025年9月1日



 映画「地球交響曲」のシナリオハンティングのため、フィンランド北部ラップランドの森を歩いた。ラップランドの夏の森に一歩足を踏み入れると、最初に出迎えてくれるのは、美しい若葉の緑でもなく、おびただしい数の蚊やブヨの大群なのだ。だから森に入る旅人は、長袖、長ズボン、そして蚊よけ帽子が必須となる。しかし、このようなバリヤーを自分の体の周囲に築いてしまうと、森と対話する最も重要な回路を自ら閉じてしまうことになる。短いラップランドの森の中で、蚊たちが必死に血を吸い取ろうとするのは森の自然の摂理そのものだ。私が感じるかゆさも森が奏でるシンフォニーの楽音の1つだと思えば、風や匂いや音に感覚を研ぎ澄ます余裕も生まれた。

 私は、自然の中の一員であるという感覚をもって生きていきたいと思う。



 そのための方法としては第一に、すべてのものが助け合って生きているということに気づくことだ。

 小学6年生の理科で習う「食物連鎖」。私は当時これを学んだ時に、純粋に感動したことを覚えている。例外がないかといくら探しても、たしかにすべて繋がっている。そんな美しさに感動した。では、これをなぜ小学6年生で習うのかというと、とても基本的なことだから小学生で学ぶことになっているが、きちんと理解できる年齢になってから学ぶという視点が取り入れられていると感じた。また、それは食物連鎖に限らず、この世のすべてのものに関係する。今住んでいる家の材料だって、元は森で生きていた木であった。そしてその木は水や養分を土から吸収していて、その養分は他の生き物の死骸を虫などが…と、どこまでもどこまでも考えることができるのである。



 また、第二の方法としては、地球もひとつの命として大切に守ろうとすることだ。地球の資源には限りがある。

 最近、世界中で問題とされているのが「地球温暖化」などの環境問題である。どうやって二酸化炭素排出量を抑えるか、どうやってプラスチックを削減していくか…など、これらは私達人間にとっての便利さを求めたうえで考えていることなのである。私は社会の授業で発電方法について学んだが、再生可能エネルギー以外、ほぼすべての発電方法において、資源の上限という問題が見えてきた。原子力発電が効率的かというディベートを授業で行った際には、両者の意見を考える際に、危険性の前に施設建設費と冷却水問題、そしてウランの資源上限問題があるという事を知った。だから私たちは、現在を豊かにすることよりも、長期的に続けられる取り組みを考えるべきだと思った。



 映画「地球交響曲」は「ガイアシンフォニー」という読み方もある。交響曲が「シンフォニー」なのは分かるが、地球がジ・アースではなくガイアなのはなぜか。気になったため、インターネットで調べてみた。すると、ガイアとは、ギリシャ語で「大地の女神」や「大地」より「地球」という意味を表すらしい。そして気になったのが「ガイア理論」というもの。これは、イギリスの生態学者ジェームズ・ラブロック氏が1960年代に提唱したもので、生物は地球環境に適応するだけでなく、環境に働きかけて変化させるという説を表したものらしい。つまり、地球をまるで一つの大きな生命体であるとする考え方のことである。ラブロック氏が遺した「私たちがここまで生きてこられて、地球をあるがままに見ることができるというだけで、驚くべき幸運ではないでしょうか?」という言葉の通り、私たちは進化やテクノロジーという、私たちが使用する状態の物の姿を見つめるのではなく、その元の状態を、その美しさをいつも感じて生きることが大切だと思った。