何ごとぞ花見る人の長刀
   中1 はななは(hananaha)  2025年9月2日

 花見に平素の身分や階層をもちこむのは野暮というものだ。花見に行って武士の権威を振り回すような輩は、「えらそうにするな」と町人どもから反発を食らうことになる。花見に喧嘩はつきものである。花見には、町内や職域といった小共同体の仲間が、つれだって出かけることが多い。桜の花は日本民族のシンボルとして、大共同体意識の中核に置かれたが、現実の花見はついにそこまで至っていない。大体日本人は、「見る」ということに重要な意味を与える。私はこれらのことから、言葉だけに頼らない日本のコミュニケーションのとり方は良いと思う。その理由は二つある。



 一つ目の理由は、年や年齢が違っても同じものを見ていたら同じことを分かち合うことができるからである。月を見ているとき、誰が見ても美しい、きれいだと思うだろう。それは10代でも、70代でも同じことを感じるはずだ。男性でも女性でも同じことを感じると思う。さらに私は、推し活でも同じことがいえると考えた。ファンたちで分かち合えるカッコよさ、かわいさ、尊さがあると思う。例えば、一つのグループにたくさんのファンがいたとする。そのファンたちは推しがテレビに出ているところを見て、ファンたちの間で「かわいかった~」などと共感する。実際私も、推し活をしている。友達に同じ推しの子がいて、会うと「この前の○○可愛すぎた‼」などという話をする。そのとき共感してくれる子がいると嬉しくなる。



 二つ目の理由は、言葉だけでは伝わらないことがあるからだ。一例挙げると、友達の親戚が亡くなってしまったときに「元気出して」と声をかけるかもしれない。しかし、やめた方がいい可能性もある。それは、聞いた側からは軽くとられてしまうかもしれないからである。人によって受け取り方は異なるが、深い喪失感をもっている人は感情がよくわからなくなっている可能性もある。だから、こういうときは言葉に出さないで、近くに行って背中をさすってあげるだけでいいと思う。この沈黙が一番良いのかもしれない。何も声に出さないだけで安心することもある。



 確かに、はっきり自分の意見を口にした方が誤解は少ない。何で言わないのと思うこともないだろう。しかし、「コミュニケーションにおいて最も大切なことは、語られていないことを聴き取ることだ」というピーター・ドラッカーの名言もあるように言葉にならないことを自分で悟ることも大切なのだ。言葉だけでは伝わらないこともあるし、伝えきることができないこともある。だから、以心伝心のように相手の気持ち、感情を聴き取ることが必要だ。それを意識して生活するだけで、人の感情を読み取りやすくなるかもしれない。言葉に出したくないことを、読み取ってもらえると話す方も楽になるはずだ。がから、話す側のためにもなって、その人の言葉にできないことを読み取るようにしていきたい。相手に無理をして話させることのないようにしたいと思う。