「噴水は飲めない水で」感想文
   中1 あさくに(asakuni)  2025年9月2日

 「噴水は、飲めない水で」は僕にとって衝撃的な内容だった。まず、書き出しから「噴水に意味はない」と断言した時点であっけにとられ、魅せられたのだ。そしてどんどん読んでいくにつれて、筆者の考え方や世界観がだんだんと分かり始めた。そんな無我夢中で読んだ僕が一番印象に残った部分は、意味のない噴水に誰も怒らないが、硬貨を入れる場所がない自動販売機に人々は反感を買ったことである。それで、もともと意味のない噴水には見向きもしないが、利益を及ぼしてくれる自動販売機が作動しないときとは、ちょっと話が違うと筆者が言った時、僕は驚きを隠せなく、「そうだったのかー」と一人気に感心していた。

 僕は指備の先端にくっついているカルシウム豊富の爪が噴水に似たような無駄だけどないと困る物の一つだと思う。改めて考えてみると爪はただ、ただ指の先端部分にくっついていて、ちょこちょこ伸びたら、切って、伸びたら、切っての繰り返しだと思う。だが、数年前爪の役割についての本を読んでみた所、驚くべき役割を果たしているのだとわかった。この役割を説明するにはまず指の構造から説明しなくてはならない。まず、指は全3関節で出来ている。そして、爪よりもう少し先端にある第一関節が通っていそうな場所に実は骨は無いのだ。「なんでっ」っと思うかもしれませんが、これにも訳があったのだ。人類は指の先端で物をつかむように進化しているので、より繊細なものも掴めるように進化したというのだ。ただ、それだけだと刃のないはさみのように、逆に掴みずらくなってしまう。そこでやってくるのが爪だ。爪はよれよれのアサガオを支える棒のように真っすぐに固定してくれる。それにくわえ、第一関節までは無く、先端が柔らかいので、繊細なものも摘まめる、万能指になったのだ。このように、一見意味がなさそうな物でもいざ無くなったら必須だという事を思い知らされたのだ。

 爪と同様、空の色もほぼ無意味だが色々な面で人々に影響を及ばしていると思う。空はただただ青く、時々暗くなり、雨を降らしているだけ。そう思っている人も数少なくないと僕は思う。ただ、空が及ぼす天候のことはともかく、空の色がなくなった時の事を想像してみて見てはどうだ。毎日通勤、登校、または散歩の時にふと空を見たら穴が空いたかのように白い。雨が降っても、雷が落ちても、空は何もなかったかのように白いまま。その時初めて、空の色が私たちの生活を色鮮やかにしていると自覚できると思う。皆さんも小さい時に「明日の遠足は晴れたら良いなー」と思いはせている時も過去にはあったと思う。そして当日になって、曇りで泣いたこともあるのではないのだろうか。これこそ空の色が私たちの生活リズムを整えてくれている理由の一つだからである。晴れたら気分も少しは明るくなり、曇りだと少し気分が下がる。それこそ地味だが直結に私たちの気分に色々な意味で影響する理由だと思います。

 噴水のように一見意味はなくても、いざ無くなった後からそのものの重要性がわかる物も多いと思う。その例としては本文で僕があげた爪や空の色もそうなのではないか。身の回りの無意味そうなものも実は存在感が馴染みすぎていて、その貴重さ、大切さに築けていないだけかもしれません。