旅行をどう楽しむか
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 人間は自らを飼育し、馴化しており、自己飼育、自己馴化を行っている。ここでいう「自己」は、人間の行為の上での自己ではなくものごとの自己発展の上での自己である。人間というもののあり方が自ら飼育していくという意味である。そして、飼育とは食物や生活空間、場を与えられるものといってよい。人は自分たちがつくる社会システムに参加することによってそれらを得ている。そのため、自己飼育・自己馴化になるのである。現在は自己家畜化ではなく自己ペット化に至っているものがあり、自己ペット化は自己家畜化の特殊な現代的あり方である。自己家畜化で生活することもよいが、ときには自由に過ごすことが必要だと考える。その理由は二つある。

 第一の理由として、自己家畜化だと「社会のシステムに従っていなければならない」と意識せずに思ってしまい、精神的にも体力的にもつかれてしまうからだ。私は、普段は何時までに寝て、何時に起きて、何時に家を出る、と学校に遅れないために決めているが、大みそかに起きられるまで起きるように頑張った。そうしたら、特別感があり、なぜか楽しかった。そして、体がすっきりしたような気分になった。いつもとは少し違った、社会のシステムを一回置いといてそれを気にせずに過ごしてみることで、心が軽くなるのだと思った。

 第二の理由として、自由に過ごすことで本当の自分が見えてくると思うからだ。私は八時に学校に行かなければならないから、「遅れないように準備しなければ」、「バスは遅れていないかな」、「時間はあとどれくらいあるか」などをいつも考えるようにしている。何の理由もなしに遅れたら自分にとってもよくないが、ちゃんと時間通りに来ている他の人に迷惑をかけてしまうからだ。しかし、ずっとそのようなことを考えていると「自分」について考える暇がなくなってしまっていることに気が付いた。本当は自分は何をしたくて、どうやって将来生きていきたいのか。社会のシステム通りに生活していると頭にさまざまな情報が行きかって落ち着けないことがある。だから自由に過ごして頭を一回整理し、和ませることで自分について考えることのできる時間がうまれると思う。

 確かに、自由きままに過ごしすぎて自分勝手になるのは良くない。しかし、「人が旅行するのは到着するためではなく旅行するためである」という名言がある。この名言のように「社会のルールに従わなければ」という到達地点のようなものを必死に目指すのではなく、その目的達成のために自分は人生という名の旅行をどう楽しみ、何をすべきなのかを考えることが大切だと思う。だから私はこれから、自由に過ごす時間をつくり、それを自分の人生やこれからを考える時間などにして、有効的に使い、また社会のシステムとその自由時間のバランスをうまくとっていきたいと思う。