文化的カプセル
小6 あえさた(aesata)
2025年9月3日
世界じゅう、どこに行っても日本人の旅行者たちは、身のまわりに「日本」をもって動き回る。食べものも飲みものも言語も、ことごとく日本のもの――それにとりかこまれていないとなかなか安心できないのである。日本航空の客室はそうしたカプセルのひとつであり、また日本人専用のホテルや観光バスもそれぞれに、「文化的カプセル」である。その中に入っているかぎり、目にみえない文化の皮膜のようなものが、日本人を外界から遮断してくれるのである。
この文章を読んで一番印象に残ったのは、人は自分の文化に守られてこそ安心できるが、その安心にとどまるだけでは新しい世界を体験できない、ということだ。僕はこの考え方は、旅行だけでなく、僕たちの身近な生活にも当てはまると思った。
例えば、僕は修学旅行のときに知らない料理が出てきて戸惑ったことがある。普段の給食や家の食事とちがって、味もにおいも慣れていなかった。最初は「食べなくてもいいかな」と思ったが、一口食べてみると、意外においしくて、そこから少しずつ食べられるようになった。あのとき、自分の小さな「カプセル」を破ったからこそ、新しい味や楽しさに出会えたのだと思う。
また、友だちとの関係でも同じようなことがある。僕はふだん決まった友だちとばかり遊んでいたが、あるとき違うグループの子と一緒に遊ぶことになった。最初は気まずかったが、やってみると新しい遊びを知ることができて、とても楽しかった。そして意外とその人とも気が合い、もっと早く接していれば良かったと思った。もしずっと同じ友だちとしか遊ばなかったら、その楽しさを知らないままだっただろう。これもまた、自分のカプセルから出たから得られた経験だと思う。
人間にとって、文化的カプセルとは安心を与えてくれる大切なものだ。たとえば日本語や日本食、日本の習慣は、僕たちを落ち着かせ、安心させてくれる。しかし、それだけに閉じこもっていると、新しい体験や学びのチャンスを逃してしまうこともある。確かに慣れた環境の方が安心ではあるが、少し勇気を出して外の世界に踏み出すことで、もっと豊かな交流や発見が生まれるだろう。「習慣は第二の天性なり」ということわざがあるように、慣れたことには安心感があるが、その安心にとらわれすぎると、新しい可能性を見つけるチャンスを失ってしまう。だから僕は、文化的カプセルを大切にしながらも、必要なときには外に出る勇気をもって、自分の世界を広げ、成長していきたいと思う。