知識と情報
()
年月日
知識は、認識や思考が精神的、主観的であると同時に、客観的とりわけ社会的過程などが入り込んでくる二重性を持つ。しかし、情報というものはこの二重性を持たない。情報というものは知識そのものではなく、知識の素材である。また、情報は瞬間的のものであって、知識のように反復され、記憶され、蓄積はされない。現在、出生以来パソコンと共に生きてきた世代が、情報だけに詳しい知識を生み出す能力を失ってしまった人々なのではないかが懸念される。私たちは知識を作り出す力を身につけるべきだ。
そのための方法として第一に、情報を鵜呑みにせず自らの頭で考えることだ。約九年前、熊本地震が起こったときにライオンが檻から出たというフェイクニュースが世間を騒がせた。多くの人がその情報を信じてしまったがために、全国的に広がっていったのだ。フェイクニュースなどの嘘の情報というものはいつの時代でも、あるものだがここ最近はその嘘の情報というものがとても増えているように思う。AIの発展によって、人間には一瞬では見抜くことのできない程の画像を生成したり、私たちの疑問に対して即座に返答を返してくれたりする。しかし、この発展によってSNSなどでは嘘の情報が蔓延している。かくゆう私も、SNSに上がっていた写真付きの情報を信じ込んでいたら、後で実はそのことが他者に嘘だと発見されてフェイクニュースだと知るみたいなことが実際にあった。友人には、AIに質問したことの返事として返ってきたことを信じ込んでいたら、後で友達から教わって嘘だとわかったなんてことがあったという。こうして、AIの発展によって世界ではさらに多くの情報が出回るようになった。こういった嘘の情報に騙されてしまわないように一度、この情報は正しいのか自分の手で調べ考えていくことが、深く思考をするための大切な鍵になる。だから情報の鵜呑みをせずにまず自分の頭で考えることが大切だ。
第二の方法として教育現場における、子供達の思考能力についてさらに深めることだ。私たちが小学校六年生くらいの頃から通知表には「思考判断表現」という項目がつき始め、やたらと答えの過程について私たちに求められるようになった。たくさんの情報が蔓延している世界の中で人間にしかできない考えをしていくためだろう。中学生になった時から始まった数学の授業では数学の公式をただ知識として吸収していくのではなく、なぜその公式が出てくるのか、公式が導かれる過程を時間をかけて学んでいたと思う。国語の授業では、文章の問いに対して出てくる答えはどの部分を読めば導かれるのかそういったことを学んでいた。確かに問題の答えだけがわかっていてもそれは次の自分の力へはつながらない。問題の答えというのはどうやったら導き出せるのか、その過程を理解し、理解するだけでなく自分の頭に落とし込んで、次に似たような問題が出てきたときに解けるように吸収しなければならない。現在の教育現場でも思考判断については重要視されているが、さらなるAIなどの発展にも負けないように、答えの過程、どう使っていくのかというのを子供達に教えていくべきだと思う。
確かに、知識の元となる情報も大切だ。しかし本当の人間とは、情報に左右されてしまう薄っぺらい紙ではなく、情報からさらに深い思考を持って行動することのできる鉛筆である。情報だけしか持たない人間は、流動する世界ではなんの役にも立たない。私たちは情報ではなく知識を作り出す力を身につけていくべきだ。