相似的、絶対的
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視覚系は、光を介してものの形を認知する。形は触ってもわかるから、視覚だけが形の担い。さらに、聴覚も形の認識に全く無関係とはいえない。例えばコウモリは、自分の出す超音波を利用して餌の虫をとらえ、障害物を避ける。そのためには相手の位置や大きさ、広がりを「耳で見ている」はずである。ライオンがネズミほどの大きさに見えたところで、ライオンはライオンである。遠くにいたライオンが近づいてきて初めて、自分を食べる捕食者だと認識したのならにげる隙もなく餌になってしまう。そうなるとたちまち数が減って絶滅の危機へと向かってしまう。だから、視覚系は、その中に絶対座標を持ち込むようには進化してこなかったのだ。2つの箱の大小を判定するのももう一つの箱との相対的な視覚から見た意見である。顕微鏡で見たものの大きさでさえ倍率を知らない限りすることはできない。そういった目の前にあるものの大きさを図るために物差しという便利な道具が生まれた。私達が「比例」や「相似」を考えることができるのは、本来の視覚系にそういった性質が存在するからだろう。
相対的にするのは最終的な結果を示すのに適している。何か欲しいものがあるとき、それをできるだけ得して買いたいというのは自然の摂理なのではないだろうか。自分がより得をするほうを選び、満足感が大きいものを考える。例えば、店aではシャーペンを一本五百円で売っていたとする、逆に店bでは同じ値段の五百円だがシャー芯がつくのだ。この二つを並べた時により買いたいと思うのは圧倒的に後者だろう。私たちはこれを頭の中で無意識的に行っている。判断材料が乏しいとき、私たちは善悪の意識に関係なく本能的に別のものと相違した意見を出す。同じ赤い色の商品でもこっちのほうが赤の色が濃いからと視覚的な情報をもとにもう一つのものと相違して考えるのだ。これをすることによって私たちは素早い状況判断を可能にし、それからまた新たな意見を作り出すことができる。
しかし人生には絶対的なものも必要である。メジャーリーグで活躍している大谷翔平選手は小さいころからプロ野球選手になるという夢があった。プロ野球選手になるために日々努力し、目標に向かって走り続けたのである。このように小さいころから大きな目標を掲げることで明確なゴールができ、それに向かっての努力もしやすくなる。決してそのような将来への目標がないと努力できないという意味ではない。私は大きなテストをするときは、この点数を超えておきたいという基準がある程度あり、それに向かって一週間全力で勉強する。目標自体は、スマホを没収されないためや、友達に勝ちたいからなど多種多様で結構だが、大切なのはその目標に向かって走り続けることができるかである。ぶれないゴールがあるからこそその人の努力は輝くのだ。小さなことでも無理そうなものでも絶対的なものを一つ決めることでその人のやる気は莫大に上がる。もしゴールに達成できなかったら、なぜ無理だったか、何が足りなかったのか考えればいい。絶対的なものとはそうやってつかっていくべきである。
確かに相似的なものも絶対的なものも大切だが、「互いに助け合わないと生きていけないところに、人間最大の弱みがあり、その弱みゆえにお互いに助け合うところに、人間最大の強みがあるのである。」という名言があるようにこれらを駆使して他人との協調を大切にすることが大切である。