知識の生産過程が(感)
高1 あおにま(aonima)
2025年9月2日
知識の生産過程が人間の主観的内面世界での思索にかかわるということは、しかしその産物としての知識が個人の主観を超えた客観的存在であることを妨げないし、またその形成過程に客観的な要因が作用することを排除するものではない。一方で、情報にはこのような二重性はないということだ。出生いらいパソコンとともに育った「新々人類」が「ポスト工業社会」の制度的担い手たる大学や研究所の主役になったとき、その大学や研究所そのものが知識を生産する能力を失っていくことを心配するのは、私だけの単なる杞憂でしょうか。だから、私たちは、本当の知識をつくりだす方法を身につけるべきだ。そのために考えられる方法は二つある。
第一の方法としては、情報を過信せず、自分で考える習慣をつけることだ。最近ではインターネットが普及して昔より容易にいろいろな情報を入手しやすくなった。しかしこのような意見もある。人間は得た情報はある一定の期間の間は覚えておくことができるが、人間は忘れるという習慣があるので、一度に完璧に覚えることは難しいかもしれない。しかし、ほんとうにわかっているのか。実際に自分でやってみたら、考えていたのと違った、あるいはやっと実感できたといったことはたくさんある。使い方のわからないものは、覚えても役に立たない。また、丸暗記の公式は忘れても自分で導き出した問題の解法は決して忘れない。なぜなら自分の口で自分なりの説明ができるからだ。
第二の方法としては、情報化社会の利点をうまく使いこなせるような人材をつくっていくことだ。情報を与えられて覚えるだけでは情報化社会の利点をうまく使いこなせていないと思う。情報化社会をうまく使いこなすということは、丸覚えするのではなく、自分でそのことを研究して自分が理解するまで努力し続けることだと思う。そうすることで、自分なりの説明を他の人にうまく説明することが可能になってくる。場への適応力が、人間の有能さの本質だろう。学校は、人の有能さを育てるところですから、その場に与えられた状況を最大限に利用するにはどうしたらいいかが苦労せずに分かる適応力を目指したいはずだ。つまり経験から答えを導き出すような方法を教える場にしていくべきでしょう。経験は知識より優るという名言もある。
確かに、情報化社会に対応し、格差を生まないように情報を得ることも大切だ。しかし、私たちは、やはり単に受け渡しされる情報に左右されるのではなく、知識を持って情報を使う立場に立っていかなければならない。だから、私たちは、本当の知識をつくりだす方法を身につけるべきだ。