高齢者は重荷ではない
高1 ヨーヨ(waoho)
2025年9月3日
日本の高齢化は、良くも悪くも寿命延伸と出生率低下という経済性成長の成果であるが、進行過程では社会保障や雇用制度との摩擦が生じる。重要なのは、制度を迅速に調整し、世代間の負担を合理的に分担することである。私たちは、高齢化社会を前向きにとらえ、プラスの面を生かしていくべきだ。
そのための方法として第一に、高齢者の知恵から学ぼうとすることだ。。近年、少子高齢化が進むなかで、高齢者に対する風当たりは強くなってきている。特に、デジタルネイティブと呼ばれる若い世代にとって、高齢者は時代遅れで、社会の流れについていけない存在とみなされがちである。また、昔からある遊びや習慣に対して「古臭い」というレッテルを貼り、価値がないかのように扱う傾向も見られる。しかし、そのような考え方は一面的にすぎない。むしろ高齢者は、学力や最新技術の知識に欠けていたとしても、長年の生活の中で得てきた実践的な知恵を豊富に持っているのである。たとえば、仕事や家庭での失敗をどのように克服してきたか、あるいは困難な状況をどう乗り越えたかといった経験談は、若い世代にとって大きな指針となり得る。実際、同じ失敗を繰り返さないためには、先人の経験に学ぶことが最も効果的である。したがって、高齢者の語りを軽んじるのではなく、むしろ積極的に耳を傾け、社会の中でその知恵を共有できる場を設けることが重要であろう。僕も昔の人の知恵はすごいものだと思う。そのよい例が風呂敷である。布一枚で瓶を包んだりとあらゆるものを袋として活用していた。環境省の調査によれば、日本で年間に使われるレジ袋は約200億枚にのぼるという。その大量消費を抑えるためにも、繰り返し使える風呂敷の知恵は大きな可能性を秘めていると思われる。このように、高齢化社会を悲観的にとらえるのではなく、高齢者の知恵を財産として生かす姿勢を持つことは、未来に向けた社会づくりに欠かせない第一歩なのだ。
第二に、高齢者が活躍しやすい仕組みを作ることだ。高齢化が進んでいる社会において、活躍できる場がなければ発展していかないだろう。歴史を振り返ると、高齢者が大きな役割を果たしてきた例は多い。たとえば、江戸時代の「隠居制度」がある。武士や町人は、ある程度の年齢に達すると家督を子に譲り、自らは第一線を退く一方で、相談役や教育係として地域社会を支えていた。この制度は、高齢者が経験を生かして若者を導きつつ、無理なく社会に関わり続ける仕組みであった。また、明治維新を支えた西郷隆盛や勝海舟も、五十代を過ぎてなお国の行く末を方向づけた人物である。彼らのように、年齢を重ねても社会に必要とされる環境が整っていたからこそ、その力が発揮できたのである。現代においても、このような歴史的知恵を生かし、高齢者が活躍できる場を制度的に用意することが大切だ。企業における再雇用制度や、地域での学習支援活動などはその具体例であり、これらをさらに充実させることで社会全体が恩恵を受けるのである。
確かに、社会の高齢化を緩和することも大切だ。しかし、「老いを重ねることが荷ではなく力として受け止められるとき、社会はようやく成熟へ近づくのかもしれない。」というように、その人材をどのように活用することができるのか考えるべきだ。