負のイメージだけ?
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年月日
少子高齢化社会の問題というのは、先進国にはつきものの問題だと思う。少子高齢化というのは、社会に様々な課題を生み出している。年金問題や人手不足など。どうしても少子高齢化というと、負のイメージが付きまとう。本当に高齢化社会というのは、日本社会に負の影響しか与えないのだろうか。
私たちは、高齢化社会を逆手にとらえることをするべきだ。
そのための第一の方法は、高齢者は受け身の立場にとどまらず主体的に社会に貢献できる人材であることを考えることだ。
私には、今年九十歳をむかえる祖父母がいる。
祖父母には、幼稚園の送り迎えにくわえ休日には地元の遊園地や奈良公園へと遊びに連れて行ってくれた。休日はもちろんのこと、家が近いこともありよく遊びにいっていた。そのときも、相変わらず私と遊んでくれるのだがそれと同じくらいの頻度で自分が子供の頃の話をよくしてくれた。祖父母が子供の頃は、太平洋戦争の真っただ中ということもあり苦労話がつきものだ。父親の戦死したこと。食べるものに苦しんだこと。お金を稼ぐためにお母さんが一生懸命だったこと。まだ幼い私にとって苦労話は、あまり胸に響くものでなく、ただただ暗い話だなというぼんやりとした印象が頭に残っていた。しかし、高校生になってあるていど太平洋戦争について知るようになってから、苦労話を思い出すと人生の教訓を教えられているようだった。祖父母が子供の頃にした経験は、私はすることがない。けれども、話を聞くことによって疑似体験ができる。この疑似体験がこれから生きていくなかで、知恵となり体に染みつくであろう。自分の経験した様々なことを人に伝えるということは、長い人生を送ってきた高齢者が語ることによって話に厚みをもたらす。これは、私などの若い層の人たちがようようとたやすく出来ることではない。高齢者にしかできないことだと思う。だから、高齢者は、保護される立場にとどまらずに若い層の人達と関りを持つ必要がある。
第二の方法は、高齢者が活躍する場を設けることだ。
私は、高校に通うために公共交通機関を利用している。そのときに必ずといっていいほど毎日みるのが、なんの理由もなく怒っていたり、自分を大きくみせようとしている高齢者がいる。私が思うに、社会との関りが働いていた現役時代から極端に減ったことが原因だと思っている。ついこないだ、私の学校で文化祭が行われた。当日の盛り上がりはもちろんのこと楽しいのだが、準備期間が意外に当日を超えるほど楽しいのだ。文化祭の準備というには一人一人が進んで仕事をみつけてやっていく必要がある。みんなが仕事をしているときに何もすることがないとなったとき、虚無感を感じてしまう。人間というのは、仕事や勉強などやることがあるからこそ生きがいを感じられるのだと思う。高齢者の方々も少なからず虚無感を持っているはずである。そんな高齢者の方々が社会のために貢献できるような場があると、少しでも社会が明るくなるような気がする。たとえば、先述してように様々な経験をお話しする場を設けるなどだ。高齢者が活躍する場を設けるというには、高齢者が生きがいを見つけることができると同時に、若い人たちにっとてもこれからの人生の道しるべにになるかもしれない。だから、社会のメカニズムは高齢者が必要なのである。
確かに、以上の社会実現には、高齢者を支える現役世代には社会保険料などの負担が大きい。しかし、私たちがある程度の生活水準をもち日本で暮らせているということは、高齢者の層の人たちが懸命に働いてくれた成果ということを忘れてはならないと思う。